【運命と自由意思④】:科学と自由意志
運命というのは決まっているのか・・・
どこまで自由意志で決めることができるのか・・・
「運命は決まっている」、「自由意志などない」などと言うと、たいていの人は、「何を非科学的なことを・・・」と言うでしょう。
おそらく、理知的な人ほどこの傾向は強く、逆に、運命を信じているのは、宗教に犯された人か、オカルト信者、迷信を信じる非科学的な人だというレッテルがあります。
しかしながら、個人的には、「自由がある」ということの方が、よほど非科学的であると思います。
科学というものには、どこを探しても自由などという概念はありません。
原因と結果にがんじがらめにされているのが科学です。
ずべてのことに原因・理由があり、起こってくる事象は一意に決まります。すなわち、科学は「決定論」で表されます・・・要するに、宇宙の開闢以来、この世に起こることはすべて決まっていることになります。
すなわち、私たちの運命と呼ばれるものはおろか、意志や感情、思いというものも、途方も無く複雑な系ではあるが、すべて決定されていることになります。
これに待ったをかけるのが、量子力学です。
唯一、微視的な電子や光というものを扱う量子力学だけは、因果関係が一意に決まらず、確率論で表されます。
すなわち、決定論では表すことはできず、ここに、人の自由意志が存在すると言う人たちもいます。
しかし、良く考えてみると、量子力学とて、自由という物ではなく、単に確率論、要するに「偶然」「たまたま」であり、自由意思で決定されているわけではないのです。
要は、いろいろ不確定なことはあるかもしれないが、個人の自由意思で決定したわけではなく、確率論的に、たまたまそうなっただけだというわけです。
要するに、現代の科学的に言えば、真の自由はどこにもないのです。
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