【運命と自由意志⑥】:運命と自由意志
運命はどこまで決まっているのでしょう・・・
もし、すべてが決まっているのだとしたら、私たちの自由意志とはなんでしょう・・・
我々の運命とはなんでしょう・・・
「サンカルパ」という本に出てくる、インド占星術師のナラヤン師の言葉が印象的でした。
ちょっと引用してみます。
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ナラヤン師は、続けて語った。
「人が、運命にがんじがらめにされていることは、認めざるを得ない現実だ。
だからこそ、これらの予言や占星学が成立する。
そこで人は、『決められた運命』と言って嘆いてみせる。
しかし、その運命は一体だれが決めたのだ。
『神さまがお決めになった』 と言うかもしれない。
だが、その“神さま”とは、もともと自分自身のことではなかったのか?
また、人は運命に対抗するところの自由意思を語る。それは誰の意思か?
『自分の意思だ』と言うかもしれない。だが、その自分がもともと神ではなかったのか。
結局、神が定めた運命も、人の自由意思も、最も深いレベルでは同一のものだ。
ただ、われわれは常に現象の字面だけ見て、その二つを別々のものだと考えようとする。
そこに、あらゆる間違いのもとがあるのだ。
われわれは、この現象世界を深く深く掘り下げ、最終的にはこれを超越した”実存”に必ず到達することができる。
それこそが、”自由の場”だ。そこには苦しみもなければ、束縛もない。一切が、まさに自由なのだ」
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同じ占星術師として、非常に考えさせられる言葉でした。
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