最近、自分の終わりの日のことを思います。

私はいつ、どんな風にいなくなるのか・・・

 

私は死にたいわけではないですが、生への執着もあまりありません。

飼っている猫の生活と安全が確保できれば、いつ死んでもいいと思っています。

しかし、「死ぬのなんて怖くない!」って思ってるんですが、

そのときが来たら、きっと慌てるんでしょうね。^^

 

でも、なんとなく、“死”を意識するって、大事なことのように思えます・・・

そうすることで、生きていることの大切さがわかると言うか・・・

“後悔しないように生きたい!”と思うようになると言うか・・・

その日は、一生懸命生きられるような気がするんですね。

 

実際、人が不治の病にかかり、余命が宣告されると、一日一日が本当に大切なものに感じられるそうです。

 

 

たとえば・・・

もし、今日が人生最後の日だったら、あなたは何をするでしょう?

その日は、何にも代えがたい物に感じるのではないでしょうか?

できるかぎり、精一杯生きようとしないでしょうか?

 

もし、あなたの大切な人に会えるのが、今日が最後だったら・・・

できる限り優しく、親切にしようと思いませんか?

精一杯の感謝の言葉を伝えようとしませんか?

その人と一緒にいるときが、かけがえのない時間になりませんか?

つまらない喧嘩なんかしている場合じゃないって思うでしょう?

 

もし、この空や夕焼けや花を見るのが、今日が最後だったら・・・

この世界の美しさを目に焼き付けて、

一瞬一瞬を、大事に感じながら過ごすのではないでしょうか?

 

 

私たちはいつか逝きますね・・・これは確定です!

 

数十年前には、私はまだいなかったし・・・

数十年後には、私はもういません。

 

私はいつか、すべての人たちと別れます。

私はいつか、すべてを自然に返す時が来ます。

 

明日かもしれない・・・

今日かもしれない・・・

 

余命を宣告された人のほとんどが、「え?まさか私が?」と驚き、嘆きます。

“明日があるさ”なんてのは、聞こえはいいですが、実際は誰にも明日は約束されていません。

もしかしたら、明日は私の番かもしれません・・・

 

もし明日、全てが終わりになったとしても、

後悔しない生き方とはどのようなものなんでしょうね・・・

 

私はいつ死んでもいいように、人に優しく、誠実に、一生懸命生きたいですね。^^

 

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私の好きな言葉を2つ・・・

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——

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 この道は一度しか通らない道。

 だから、役に立つこと

 人のためになることは

 今すぐやろう・・・

 先に延ばしたり、忘れたりしないように。

 この道は、二度と通らない道だから

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 考えてもみよ。

 今日会った人、通りですれ違った人は全員死ぬのだ。

 そしてそのひとりひとりが自分の友人や家族を失って悲しむ。

 この世で愛しているものは全て、例外なく全員が失うんだ。

 なら、どうして、生きている間に優しくしておこうということ以外に何かを欲しがるのかね。


―サム・ハリス

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