【運命と自由意志⑱】:神の臨在
今日は少し、神様についてです・・・
このブログでも、各神様に対応したマントラを紹介したり、宗教的なことも取り扱っていますが、
実際に祈ったり、マントラを唱えるようになったという方は少ないかと思います。
神の存在を信じているという人は結構多いと思いますが、好きになったり、親しみを感じたり、祈ったりするというのはまた別の問題かと思います。
おそらく、神様に親しみが持てないのは、どこかにいる遠い存在、かけ離れた存在、自分とは関係のない存在、いるかいないのかはっきりしない存在だと思っているからだと思います。
私も以前はそうでした。
今でもまだ、神様というものが何かはよくわかっていません。
でも、分からないなりに、神様が実際にいるということを信じられるようになってきています。
それを実感させてくれたのはインドでした。
それは、アガスティアの葉であったり、インドの聖者たちの言葉であったり、ヴェーダンタ哲学であったり・・・
それは目には見えないけれども・・・
その存在の証明もできないけれども・・・
きっと本当は自分に最も近くにいる存在なんじゃないかと・・・そんな風に思います。
少し、神様が近い存在であることを述べた言葉を集めてみました。
『神は何かあなたから離れて、遠くにいるのではない。
神はあなたの中に、あなたの前に、あなたの後ろにいて、
あなたを手招きし、守り、導き、注意する。
あなたと常に語らい、内なる声を促している。
神を捜す必要なない。
神はハートの呼び掛けに答えるべくそこにいる。
わたしを呼びなさい。
わたしは常にあなたのそばにいる 』
―サティア・サイババ
『 グル(師)は、必ずしも現実の具体的な形をとって現れるとは限らない。
グルは、より高い想念のインパルスを促し、書物や友人、
あるいはさまざまな出来事を通じて人を導く。
それらは一瞬にして真実を解きあかす。
こうした気づきがあれば、後はほとんど求道者次第と言える。
グルは、それを見ていて方向を指し示すだけである。
自分の心を騒がせ、見失ってはならない。
わたしは、どんなに遠く離れていてもあなた方を導く。
あなた方はわたしと共にあり、わたしは常にあなた方と共にあるのだ 』
―サティア・サイババ
『世俗の友達と敵は時の経過と共に変わるが、
神はあなたの真実で、永遠の友である。
この友は、
いつもあなたと共に、
あなたの中に、
あなたの周りに、
あなたの上に、
あなたの下にいて、
丁度瞼(まぶた)が目を守るように、
あなたを守っている。』
―サティア・サイババ
『 自分の家にランプがあるのに、
どうしてあなたは、ほかの家に火を借りるために出かけるのか。
主の主があなたのなかにいるのに、
どうして神を探しに外に出かけるのか。
主があなたの心で王座を占めていることがわかれば、
あなたはどこにも行かなくてよい 』
-サティア・サイババ
サイババは、『わたしはいつもあなた方と共にある』 ということを常に言いますが、実際、インタビューで呼ばれると、本人しか知らないはずの過去の出来事や、また現在の悩みなどを話すことがよくあります。
サイババは、そのことを次のように説明しています。
『 わたしがあなた方の心に入り、
心の中を調べてから話すと考えるなら、
それは大きな間違いである。
実際は、わたしはいつもあなたの心の中にいる。
わたしに知られずに、少しでも心を動かすことは、誰にもできない 』
―サティア・サイババ
『君はここへ来て、初めて私に会ったと思っているだろう。
しかし実際には、私は君のことを遠い昔から知っている。
私はいつも君の心の中にいるのだから』
―サティア・サイババ
『神との対話』 という私の好きな本があります。
この本では、ひょんなことから心の中に話しかける神様が現れ、著者と対話をするのですが、
この本のラストには次のような神様の言葉で閉めくられています。
・・・
見捨てられたと思わないように。
わたしは常にあなたとともにいる。
質問があったら ― 毎日の暮らしのなかで質問があったら
― いまでさえ、あなたにはほかにも質聞したいことがあり、
これからもずっとそうにちがいないから ―
答えてくれと、わたしを呼べばいい。
この本のような形式は必要ない。
わたしは、この本だけを通して語っているのではない。
あなたの魂の真実のなかに、わたしの声を聴きなさい。
正直な気持ちのなかに、わたしの声を聴きなさい。
精神の静けさのなかに、わたしの声を聴きなさい。
どこででも、わたしの声を聴きなさい。
質問があるときはいつでも、わたしがすでに答えているのだと思いなさい。
そして、あなたの世界に目を開きなさい。
わたしの答えはすでに発表されている記事のなかにあるかもしれない。
これから聞く説教のなかにあるかもしれない。
制作中の映画のなかにあるかもしれない。
昨日、作曲されたばかりの歌のなかにあるかもしれない。
愛するひとの口から出かかっている言葉のなかにあるかもしれない。
知りあおうとしている新しい友人の心のなかにあるかもしれない。
わたしの真実は風のささやき、小川のせせらぎ、稲光、雨音だ。
土の感触、百合の香り、太陽の暖かさ、月の満ち欠けだ。
わたしの真実 ―そしてあなたが困ったときの頼りになる支え― は、
夜空のように荘厳で、赤ちゃんのおしゃべりのように単純であどけない。
心臓の鼓働のようにささやき ― わたしと一体になった息づかいのように静かだ。
わたしはあなたから離れない。 離れることはできない。
あなたはわたしの創造物、作品、娘であり息子、
わたしの目的であり、そして、わたしの・・・
自己だから。
だから、いつでもどこでも、神の平安から切り放されたら、わたしを呼びなさい。
わたしはそこにいるだろう。
真実と
光と
愛とをたずさえて。
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