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私の尊敬する仏教学者に中村 元(はじめ)さんという方がいます。1999年にお亡くなりになられましたが・・・

中村氏は膨大な量の経典を翻訳・解説されて、日本の仏教界に大きな貢献をなされた方です。世界的にも有名な方でした。
NHKのTVやラジオでも、仏教に関する番組では良く出ていました。
少し微笑んでいるようなお顔でしゃべる姿は、菩薩のようでした。

一般人向けに非常に平易な言葉で訳されたのが特徴で、「生きる指針を提示するのも学者の仕事」が持論だったそうです。
その多大な功績により、文化勲章、紫綬褒章受章など多数受賞されています。

中村先生には、多くのエピソードがあります。
彼の博士論文は5年がかりで完成させましたが、その原稿は単純計算でも四百字詰の原稿用紙で約六千枚だったそうです。リヤカーで弟に手伝ってもらって運びこんだそうです。彼の指導教授だった宇井伯壽も「読むのが大変だ」と悲鳴をあげたといいいます。

また、中村先生が20年かけ1人で執筆していた『佛教語大辞典』が完成間近になったとき、ある出版社が原稿を紛失してしまいました。
しかし、中村先生は「怒ったら原稿が見付かるわけでもないでしょう」と怒りもせず、翌日から再び最初から書き直し、また8年かけて完結させたそうです。

私なら、怒り狂ってたかもしれません^^;

著作のみならず、生き様自体が仏教的な方でした。

 

 

以下に紹介するのは「スッタニパータ(経集・ブッダの言葉)」というお経の中の、「慈経(メッター・スッター)」という部分です。

東南アジア圏では重要なお経として尊ばれています。

私は大学4年のころ、インドに半月ぐらい一人旅で行ったのですが、岩波文庫・中村元訳の「スッタニパータ(ブッダの言葉)」と「ダンマパダ(法句経)」をもって、読みながら旅をしたのを覚えています。
スッタニパータが読めるのは中村先生の翻訳おかげです(←日本で最初に訳した)

また、中村先生の墓碑にはこの慈経の一部が刻まれています。

 

『慈経 (メッター・スッタ)』

 

究極の理想に通じた人が
この平安の境地に達してなすべきことは
次の通りである。

能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、
思い上がることのない者であらねばならぬ。

足ることをしり、わずかの食物で暮らし、
雑務少なく、生活もまた簡素であり、
諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、
諸々の(ひとの)家で貪ることがない。

他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、
決してしてはならない。

一切の生きとし生けるものは、
幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

いかなる生物生類であっても、
怯えているものでも、強剛なものでも、
悉く、長いものでも、
大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、
微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
すでに生まれたものでも、
これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

何びとも、他人を欺いてはならない。
たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。
悩まそうとして怒りの想いをいだいて
互いに他人に苦痛与えることを望んではならない。

あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、
そのように、一切の生きとし生けるものどもに対しても、
無量の(慈しみの)こころを起こすべし。

また全世界に対して無量の慈しみのこころを起こすべし。
上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。

立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、
眠らないでいる限りは、
この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。

この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。

諸々の邪な見解にとらわれず、
戒めを保ち、
見る働きを具えて、
諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、
決して再び母胎に宿ることがないであろう。

 

 

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