【政治・情報】:中国とチベット
メルマガからの転載です。(少し加筆してあります)
さて、安保法案等で強行採決、各地での抗議など、政治が混乱してますね。
個人的には、賛成派でも反対派でもないのですが・・・
こうした法案を急ぐのには、もちろん中国という国の背景があります。
ちなみに、アガスティアの葉の予言には、
「2023年までに中国が民主化されない時は、日本の半分が中国に占領される」
というものがあるらしいです。
これは、アガスティア関連で有名な小宮光司氏(←以前に紹介した「未来予言2015」の著者)が、その予言をYoutubeにアップしてたんですが、今は消されているので、もしかしたら、間違いたっだのかもしれませんが・・・
まぁ、連日の中国の軍備拡張の話、尖閣の領海侵犯・領空侵犯、南シナ海問題、ガス油田採掘、人権活動家の拘束・・・今の中国の動向を見る限り、まんざら嘘でもないかもと思えるようになりますね。
中国というのは現在もチベット(およびウイグル)に対し占領・弾圧・ホロコースト(虐殺)を続けている国です。
歴史問題で日本の虐殺などを批判しますが、中国は現在進行形です。
これは、TVでも新聞でもほとんど報道されません。(←産経は比較的頑張っていますが)
これまで、報道機関は、スポンサーからの圧力、商業的な側面、政治的な側面・配慮より、「真実の追及」や「人権」、「自由」を捨て、中共批判をせず、むしろ虐殺事件を黙認してしまっています。
報道されるのは、ほんのごく一部に過ぎません。
きっと私が尊敬する、偉大なチベットは滅びてしまうでしょう。
また、インドに亡命したダライ・ラマ法王は、もう、おそらくチベットには戻れないでしょう・・・悲しいことです。
以下は記事ですが、もしよかったら、暇なときに適当に読んでください。(←長いんで)
「チベット大虐殺」
1959年の3月チベットの首都のラサで「改革解放」の名のもと「民族浄化」が開始、殺戮・ 破壊・強奪・強姦が行われた。
15万人の僧侶と尼僧は公開虐殺によって1400人に減らされた。
僧侶に対しては、滑車を使い仏像の重みによる絞首刑や、尼僧に対し警棒の形をした 5万ボルトのスタンガンを性器に入れて感電死させ彼女の死体は裸のまま路上に捨てられた。
一般民衆の犠牲者は120万人におよぶ。
中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術によって奪う事)」や「強制交種(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つ事)」等の民族浄化に力を入れた。
生き残った証言者によると、親の死体の上で子供に泣きながらダンスをさせ、人民解放軍はそれを笑いながら銃殺した。
ジュネーブ法律家国際委員会」が受理した供述書によると以下のように書かれている。
「何万というわが国民が殺された。
軍事行動においてばかりでなく、個人的に、また故意に殺されたのである。
(略)
彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、生きながら焼かれた。
溺死させられたり、生きたままで解剖されたり、餓死させられた者もあった。
絞め殺されたり、首を吊って殺されたり、熱湯による火傷で殺された。
又、ある者は生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたり、首を切られたりして殺された。
こうした殺人行為はいずれも公衆の 面前でなされた。
犠牲者の同じ村人、友人たち、隣人たちは、それを見物するよう強いられた。」
ちなみに侵略や粛清、失政による飢餓など、歴史上その数において世界最大の虐殺者は、 まぎれも無く中国で、犠牲者は自国民、他国民含め四~六千万人といわれる。
中国軍に侵略されてチベットという国は既に無くなってしまった。
120万人(※)ものチベット人が殺されたという。5人に1人が殺された計算になる。
チベット文化も風前の灯火らしい。
中国人(漢族)の移住が行われ、さらに2000万人の中国人を移住させる計画があるとか。
この移住が行われると人口比率がチベット人1人に対し中国人10人の割合になりチベットの終焉を意味することになるという。
(※)120万人の内訳はwikiによると、以下のように書かれてます。
1950~1976年の間の侵略および占領の直接的な結果としての死者数は、次のように推定されている。
173,221人のチベット人が、刑務所もしくは強制収容所で死亡。
156,758人が処刑死。
342,970人が餓死。
432,705人が戦闘もしくは暴動中に死亡。
92,731人が拷問死。
9,002人が自殺。
以上、合計120万7387人。
今でも、毎年何人も、中国への抗議のために僧侶たちが焼身自殺を行っています・・・ほとんど報道されませんが。
また、スペインは人道に対する罪に関し、チベット族虐殺容疑で江沢民氏ら5人に国際手配要請、逮捕状が出ていましたが、中国の圧力により、取り下げられました。
普通だったら、はらわたが煮えくり返るほど中国を憎みそうなものですが、インドに亡命したダライ・ラマ法王は、中国に対して、非難や攻撃的なことは言いません。ダライ・ラマ師の要求は、中国への憎しみをあおるようなものや、独立を扇動するものではなく、チベット自治区は独立ではなく、あくまでも高度な自治を求めているだけと表明しています。
それどころか、『私たちは、偉大な中国といつでも友好を結ぶ準備がある』とまで言っています。
彼は人々に、『中国を憎まないように』と言っています。
『中国を助けるために、チベットを助けたい』とまで言っています。
中国にあんな非道なことをされたのにもかかわらず・・・
ダライ・ラマ法王には、アメリカが持つような、“裁き”や、“仕返し”、“報復”という心はありません。
ただ、中国とチベットの平和だけを願って行動しています。
やはり、すごいお方です。
(※1989年には、世界平和への貢献が評価され、ノーベル平和賞を受賞しました。この受賞に対しても中国政府は完全無視を決め込んだだけでなく、関連図書の持込さえも禁止しています。)
中国の覇権主義は、もうなりふりかまわず他国を圧迫してきています。
日本もチベットのようになるのでしょうか?
日本はどうするのがいいのでしょうか?
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こちらのサイトの作成者様ですよね?http://indian-vedic-astrology.com/index.html
所々コンテンツの抜けがあるのですが、そういう部分はまだ作成途中という認識でよろしいでしょうか?
(ナクシャトラ毎の説明が途中までになっていたり、テーマ研究の医療占星術の項目以外全てエラーになっていたり…)
穴だらけで申し訳ありません。放置プレー継続中ですm(__)m
チベットは本当に酷い状況ですよね。それにも関わらず憎むな、友好の用意がある、というダライ・ラマ法王は本当に凄い。
チベットもですし、ウイグルも弾圧されてますし、近くで核実験されて被爆したりもしている。
ベトナムやフィリピンも侵略されてますし。リアル帝国主義の中国が隣にいて非常に恐ろしいことです。当方広島出身&在住のせいか、平和への思いは人一倍強いです。
幼い頃から祖母から被爆の話を聞き、トラウマになっていて夢で核爆弾が目の前で爆発して飛び起きることもよくあるくらいです。戦争は絶対にあってはならないものだと思いますし、よくそういうことを考えます。
汝、平和を欲さば戦への備えをせよという性悪説の格言があります。
一方で平和を望むなら、平和維持に賛同せよ、という性善説な言葉もあります。
どちらの言うことも分かります、が、言っても分からない相手というのが世の中には存在しますからねぇ。特に中国は。やはり抑止力を持つことで、未然に戦争を防ぐことが、日本にとっても中国の人にとっても幸せなことなんじゃないのかなぁと思います。自分の命を防衛することは全ての生命に認められた権利です。戦争になれば日本人も中国人も不幸になります。
仮に、それでも侵略されて防衛が適わなかったとしても、相手を恨んだり仕返しは煩悩なので放棄する、という方向でしょうか。
・・・核も兵器も軍隊も必要ない、みんながみんな幸せに安心して生きられる世界になると本当はいいのですけれどね。
なぜこんな残虐なことができるのでしょうか?彼らは同じ人間ですか?
そんな人類が残る地球とは果たして幸せなところなのでしょうか?
悲しみや感情に浸っては真実は見えてこないけれども、悲しいことです。
こういうことを世界中で平気でするから、中国人という人種が嫌いでもあり、恐ろしいです。
東トルキスタン、チベット、モンゴル、満州、その他のところを現在進行形で侵略していますものね。領海内でなんかやったりとか。
皆様の意見に全くの同感です。
ちなみにうちの主な新聞は産経です。読売と併読しております。
あの新聞は絶対に認めようとはしないでしょうけど。事実は事実ですものね。
チベットが好きな私にとって中国は、元通りの国々に解体させてやりたい怒りの対象です。
それでもダライ・ラマ法王は憎むな、とおっしゃる。
葛藤。今の状況こそが、阿修羅の心境なのでしょうね。
2つの相反する感情を理解はするが、ぶつかり合って苦しむ。
有名な阿修羅像は、そんな感情を表したものだそうですよ。
まとめてお返事しますm(__)m
昨日もこんなニュースがありました(↓)
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E4%BB%8F%E6%95%99%E9%AB%98%E5%83%A7%E7%8D%84%E4%B8%AD%E6%AD%BB%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%8A%97%E8%AD%B0%E3%81%8C%E6%8B%A1%E5%A4%A7/ar-AAdtieQ
おそらく拷問を受けて殺されたのでしょう。
そして、それが発覚しないように、遺族の遺体返還の意向を無視し、急いで火葬にしたのでしょう。
こんなことはチベットでは日常茶飯事です。
日本では、スポンサーとなっている企業からの圧力で、報道できないだけです。
日本企業にとって中国は、巨大なマーケット、また世界の工場としての中国進出があります。中国批判をした報復に、中共からスポンサー企業に圧力がかかるのを恐れています。
だから、あまり大々的な報道はできず、かりに報道されるにしても非常に少ないか、比較的、利害のない報道機関からしか報道されません。(上記に張ったyoutubeの動画も「幸福と科学」の報道機関のようです。)
これらの中国の蛮行は、巨大マーケットに目がくらみ、営利を優先し、中共批判をしてこなかった日本にも責任があります。
もう、中国は隠すこともせず、野心むき出しで他の国を侵略しようとしています。
9条を守ることが国を守ること・戦争回避につながるのか・・・
拡大解釈し、武力を増強し、対抗措置を取ることが、国を守ること・戦争回避につながるのか・・・
頭の悪い私は、どちらがいいのか結論が出ません。
個人的には第9条は美しいと思います。
ガンジーは『世界が望むような変化に、まず自分がなりなさい』と言いました。
世界に先駆け、侵略、戦争、そういったものを放棄すると宣言し、武力を放棄する・・・
先に武力を放棄すれば、他の国もそれに倣うかもしれない。
その理想の国の手本となるべく、日本が先駆けて世界に示す、そのことを日本は任されている・・・そんな気高く、立派な憲法だと思います。
ガンジーの非暴力(アヒムサ)の思想に通じるものでしょう。
しかし、それには大変な勇気がいります。
殺されても、私たちは相手を殺さないということを宣言するものだからです(まぁ、今の解釈では自衛権は認められていますが。)
護憲派の人は、9条があるから、日本は戦争に加担しなかったし、巻き込まれることもなかった。実際、戦闘による殉職者はゼロであると言います(事故死や自殺者はいます)・・・その意見も分かります。
戦争のできる国にしたくない、戦争に加担する国にしたくない・・・その心情も理解できます。
また一方で、9条では実際に国や国民は守れない。現実的ではない。実際に中国は他国を脅かしているのだと主張します・・・この考えも分かります。
むしろ、9条があるため、中国は日本が先制攻撃ができないことをいいことに、これだけ強気な態度を許してきているのだとも言います・・・そうなのかもしれません。
護憲派・9条の改正反対派の思想の根本には戦争に対する拒絶反応があります。
史実・体験者から戦争の悲惨さを伝えられ、学校でも実際そう習ってきました。
よく、「戦争は絶対やってはいけない」といいます。
しかし、はたして本当だろうか?それはいかなる場合でも『絶対』なのでしょうか?
日本人として、アイデンティティを奪われ、差別され、蹂躙され、虐げられるような生活を強いられることになろうとしてても、それでも戦ってはいけないのでしょうか?それでも戦争を放棄するのでしょうか?チベットのようになろうが、植民地になろうが、ただ手をこまねいて戦ってはならないのでしょうか?
銀河英雄伝説という本でヤン提督がこんなことを言います。
「人は生命よりも大切なものがあるという理由で戦争を始め、
命より大切なものはないという理由で戦争をやめる。」
はたして、命より大事なものはないのでしょうか?
自由は?人権は?日本人としてのアイデンティティ(=言葉や文化、歴史、国民性)は?
それらは命とどちらが重要でしょうか・・・私にはわかりません。
私は護憲派と改正派のどちらの人の意見も分かります。
どうあっても、絶対に暴力や殺人に加担したくないという人もいるでしょう。
戦ってでも、国家や愛する人の生命を守りたいという人もいるでしょう。
多分どちらも正しい・・・というか、それは考え方の違いであり、どちらが正しいと言えるものではないような気がしています。
個人的にはどちらの意見も尊重したいです。
ただ、国家としては1つとなって動かなければいけない。
だから、多数決で決めるしかないという、ごくありきたりな結論に至っています。
護憲派・改正派・・・どちらにも正しさがあり、こういう葛藤は常に起こり得ます。
戦争をもっとも嫌うものとして、戦争に行かなければならない。
相手の暴力を止めるために、こちらも暴力を使わなくてはいけない。
これは大いなる矛盾ですが、この世に生きる以上、こういう矛盾・葛藤は避けられないのかもしれません。
この大いなる矛盾は、バガヴァッドギータ―・・・クルクシェートラの戦いで苦悩したアルジュナを思い出します。
戦争に加担したくない・・・愛する人々を殺したくない・・・そう悩むアルジュナ。
それに対し、義務・責務の遂行を促したクリシュナ神。
護憲と改憲、9条と中国の覇権主義というはざまで混乱する日本・・・
日本もアルジュナのような苦悩を経験するときなのかもしれませんね。