メルマガからの転載です。OSHOの蓮月に関する講話です。

——

「禅のものがたり:蓮月」

 

究極を達成した女性たちはごくわずかしかいない。

蓮月はそうした女性たちのひとりだ。

 

彼女は巡礼の旅をしていた。

が暮れるころある村に着いたので、

一夜の宿を求めた。

 

だが、村人たちは扉を手荒く閉めた。

彼らは町の伝統的な仏教徒だったにちがいない。

彼らはこの禅の女性がそこに泊まるのを許さなかった。

彼らは彼女を村から追い出した。

 

寒い夜で、

年老いた女性には泊まるところがなかった…

それに空腹でもあった。

 

彼女は野原に立っている一本の桜の樹を

拠りどころにしなければならなかった。

ほんとうに寒くて、彼女はよく眠れなかった。

それに危険でもあった―野性の獣やなにもかもが。

 

彼女は真夜中に目が覚めた―

とても寒かった―

そして、春の夜空に、満開になった桜の花が、

おぼろ月に向かって笑っているのを見た。

 

その美しさに圧倒されて、彼女は起きあがり、

村の方角に向かってお辞儀をした。

 

 私が泊まるのを断るという

 彼らの親切さゆえに

 私はこのおぼろ月の夜に

 花の下にいる自分に気がついた

 

非常に感謝して、

彼女は自分の宿泊を断った人たちに礼を言った。

 

さもなければ、

彼女は普通の屋根の下で寝ていて、

この祝福を――この桜の花、

おぼろ月とのささやき合い、

そして夜の沈黙、

夜のこの完全な沈黙を逃していたことだろう。

 

彼女は怒ってはいない。

彼女はそれを受け容れる――

それを受け容れるだけでなく、

それを喜んで迎え入れる。

彼女は感謝を感じる。

 

生は途方もない。

そして毎瞬、それはあなたへの千とひとつの

贈りものをもってやってくる。

 

だがあなたは、欲しがっている自分のマインドで

非常に忙しく、心を奪われているために、

自分の考えであまりにもいっぱいになっているために、

その贈りものをすべて拒絶する。

 

神はやって来る――あなたは拒絶しつづけている。

 

生がもたらすすべてを感謝をもって受け容れる瞬間、

人はひとりの覚者になるのだ。

 

-OSHO 『ZEN : THE PATH OF PARADOX』より

関連記事: