皆様、お久しぶりですm(__)m
いろいろトラブルがありましたが、5日に京都に引っ越しまして、12日より働いています。

修行の方ですが、転職・引っ越しが重なって非常に大変でしたが、昨日、仙台で受明灌頂を受けまして、ようやく修験道の行者(山伏)となりました。
一応、これで形の上では半僧半俗ですね。

実は、もっと以前から山伏(または僧侶)になることを勧められていたのですが、私は決意がそこまでないからと断っていました。
上の方から「なってから考えろ」とか、「そんな決意は後からついてくる」とか言われて、今回入門したのですが・・・
今でも、私ごときの決意や信念で仏門に入ることに対して、一抹の不安や迷いがあります。

仏法を求める決意の話として、禅の第二祖の慧可という方のお話があります。

ある寒い冬の朝、慧可は達磨大師に仏法を求めにやってきました。
達磨大師はずっと座禅をして慧可を無視し続けました。
慧可はその間、微動だにせず待っていました。
二日目の朝になったとき、達磨大師はやっと座禅を終えて慧可を見ましたが、このとき雪は慧可の膝にまで達していました。
達磨大師が、そこで何を待っていたのかと慧可に尋ねたところ、慧可は「師に仏法を求めるためにやってまいりました。」と答えます。
達磨大師はぶっきらぼうに、『空から赤い雪が降らない限り、お前に仏法は伝えない』と言いわたしました。
慧可はこの言葉を聞いて、戒刀を取り出すと、左腕を切り落とし自らの決意を示しました。
伝説によると、観世音菩薩が現れ、赤いあや絹の布を広げて寺全体をおおったと言われています。達磨大師は野山が赤一色に染まったのを見て、慧可の入門を許可したとのことです。

また、似たような話ですが、「あるヨギの自叙伝」には、ババジの弟子になりたいという男が来た時の話が載っています(309P~)。
この男は、ババジに対し、はるか下の岩の裂け目を指さして、「もし受け入れて頂けないのなら、飛び降りて死にます」と言います。
ババジは、「では、飛び降りるが良い」と言い、男は崖下めがけて飛び降りて死んでしまいます。(←その後、生き返り、弟子にされます)

命を賭してまで、真理を追究したいという心が私にあるか?と言われれば、そこまでの信念はおそらくないでしょう。
すべてを捨てても求道に尽くすことができるかと問われれば、無理だと答えざるを得ません。
腕をぶった切れるかと言われても、小指詰めるのが精一杯かもしれません。

そんな中途半端な人間が仏門に入って良かったのかと問われれば、今でも疑問に思うことはあります。
でも、入門してしまったものは仕方ありません・・・
「後からついてくる」という先生たちの言葉を信じて、慧可やババジの弟子の10分の1でも、求道心、菩提心、信念が得られるように、これからも修行を続けていきたいと思います。

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