メルマガのコラムからの転載です。


 

皆様ご存知のように、インド占星術はカルマ思想を基にしています。

では、それはどれぐらい正確に返り、また例外はあるのでしょうか?

今日はカルマというものを、あるサイババの逸話から取り上げてみたいと思います。

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ある時期、プッタパルティに盲目の浮浪者がいた。
彼は時々バスに乗ってきては、客のために美しい声でバジャン(=讃美歌)を歌い、そうして澄んだ目から涙を流すのであった。

ある時、信者の一人が彼のことをサイババに話すと、サイババは、その男のことは良く知っていると答えた。

信者は言った。

「スワミ、彼はあのような美しいバジャンをいくつも歌い、
盲目の目から涙を流すのです。
どうか彼の眼を見えるようにしてやってください。」

しかし、それに対するサイババの答えは次のようだった。

「彼の美しいバジャンは、もちろんいつでも私の耳に入っている。

しかし、彼が過去世で目をつぶした人々の苦しみと嘆きの声は、
いまだに、もっと強く私の耳に響いているのだ・・・」

(中略)

しかし、この話はそれで終わりではなかった。

質問者は、カルマの法則は十分に理解していたが、
それでもこの男が不憫に思われてならなかった。

そして、サイババのもとを辞した後、この男を訪れた。
彼は相変わらず、涙を流しながらバジャンを歌っていた。
しかし、それは喜びの涙だった。

突然、目が見えるようになっていたのである。

 

- 『理性のゆらぎ』: 青山圭秀 著

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この話は、カルマというものの恐ろしさと同時に、それをも凌駕する「恩寵」というものが存在することを示しています。

カルマの法則というものが正確にその人の元へ返るのならば、それはある意味、奇跡でしょう。
しかし、神の恩寵はそれもしのぐ奇跡といえるのかもしれません。

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