質問者(ヨガナンダ):「なぜ神は、この世に苦しみをあらしめているのですか?
神は全能の力で、たちどころに苦しみを取り除き、宇宙全体に神の実現を命ずるべきではありませんか?」

ラマナ マハルシ:「苦しみは、神を実現するための手段なのだ」

質問者:「別の方法を定めるべきでは?」

マハルシ:「それが神のやり方なのだ」

質問者:「ヨーガや宗教は、苦しみに対する解毒剤なのですか?」

マハルシ:「それらは苦しみを克服する助けとなる」

質問者:「なぜ苦しみがあるのですか?」

マハルシ:「誰が苦しむのだろうか?

苦しみとは何だろうか?」

「ジニャーニ(覚者)を除いて、王様から農民まで、全ての人が何らかの悲しみを持っている。

たとえそれが存在しないように見える場合にさえ、
それはただ時間の問題であり、遅かれ早かれそれはやって来る。

また、人は初め、悲しみや神について問うことはなくても、
しばらくすれば、恐らくその問いを発するだろう。

我々は、自らの真の状態を知るために、この乗り物(身体)に乗って来たのである。

内に向き、自らを探求しなさい。

そうすれば、世界とその苦しみは共に終わる。

身体の意識が去る時、苦しみも去る。

世界はあなたの外側に無い。

あなたが誤ってあなた自身を身体と同一視しているため、

あなたは世界をあなたの外側に見て、

その苦しみがあなたにとって明らかになる。

しかし、世界とその苦しみは現実ではない。

現実を探求し、この非現実の感覚を取り除きなさい。

自分自身の理解が、苦しみの終焉である。

その境地において、

自ら(真我)のみが、あらゆる人、あらゆるものの中に見られるため、

利己性についての質問は起こらない」

 

https://blogs.yahoo.co.jp/happyhappysai2010/43264791.html

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