【日記&リフォーム】:アースバック工法によるトイレ作り-その4
金星-木星-水星期は、お店関連のことが一気に進んだ時期です。
タージマハール・トイレの方も少しは進んだので、アップしておきます。
さて、前回の続きですが、まずトイレの入り口の階段をモルタルで作製します(↓)
こんな感じです(↓)
モルタルが乾いたら、今度は白モルタルで塗っていきます(↓)
こんな感じです(↓)
今度は入り口のひさしを作ります。
スタイロフォームを切って、貼り合わせます(↓)
ある程度貼れたら、試しにつけてみます(↓)
こんな感じです(↓)
あまりにシンプル過ぎるので、正面に模様をつけます。
2.5㎝のスタイロに唐草文様を描いていきます(↓)
こんな感じです(↓)
ちなみに、中心のエンブレムをどんな形にしようか、まだ思案中です(象か、ライオンか、花か・・・悩む。)
先ほどのスタイロフォームの正面につけます(↓)
こんな感じです(↓)・・・タージマハール・トイレという感じがしますね!^^
あとで白モルタルで塗って固める予定です(←天井のドームと同じ作製方法)
さて、このトイレには小さな窓があるのですが、この窓から水が入ってくるので、こちらも小さなひさしをつけることにします。
スタイロフォームに白モルタルを塗って作ります(↓)
モルタル塗って貼っちゃいます(↓)
窓は三つあります(↓)
φ10cmの換気扇もつけます。
窓にガラスをつけたいのですが、丸い形なので、ガラスを切り出すのはなかなか難しいです。
アクリル切って使おうと思いましたが、樹脂なので、持って10年ぐらい・・・一回窓の周りをモルタルで固めると、次に外したり、つけたりするのは困難なので、できれば半永久的に持つものが良いです。。
何かないかと探してたら、セリア(100均)に直径11㎝のガラスの皿がありました(↓)
はめてみると・・・お!ぴったりです!(↓)
中は漆喰できれいに塗りました(↓)
」
お次は床です。
非常に変な不定形の形の床なので、単純に切り抜くことはできません。
そこで、まず、薄めのスタイロフォームを使って、床に合わせて型を取ります(↓)
それを、床材(厚さ24㎜)に転写して、ジグソーで切ります(↓)
ちゅうか、ほとんど趣味の領域を超えている気がします・・・(^^;
はめ込むと、こんな感じです(↓)
って、簡単に書いてますが、なかなかぴったり合わせるのは大変なのですよ(^^;
こんな感じです(↓)
だいぶ形になってきましたが、まだやることはいっぱいあります。
次は、ひさしをモルタルで固めて、ドア枠作って、ドアはめて、配線して、床に便器用の穴開けて、給排水の配管して、便器設置て、床にクッションフロアーを貼らなければいけません・・・
まだまだ遠いですね^^;
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今年中にオープン出来るかどうか(笑)
オープンするの楽しみにしてまーす
こんにちは^^
毎回、とても地道な作業に感心しながら見させて頂いてます^^
私だったらきっと出来ないだろうなあ、途中で投げ出すなあと思いつつ、、、
完成も楽しみですが、この工程をずっと見続けたい、、、とも思います(笑)
すみません!
ISOPさん、本当に毎日いろんなことが起きています。
クンダリニー覚醒したい~!の情熱は変わりませんが、この道は長いんですね!
ヨガや瞑想、チャクラの活性化を続けて10年、20年という方たちが、ようやく臨界点に達してある日突然覚醒するんだと言う事を知って、改めて「ムムム、、、先は長いぞ」と感じてます。。。
ヨガはフィットネスとしかやって事がなかったですし、瞑想はいつも雑念だらけです。。。
でも瞑想は少しずつ静かな心でできるようになってきました。
ちょっとの変化でも嬉しくて、続けています。
ISOPさん、この前土地を買い取ってもらってお金が入ったんですけど、その前は
「お金が増えたらずっと幸せだろうな」って思ってました。
最初は嬉しかったんですが、結局幸せってそこにはないんだなあ、というのが今の実感です。
お金が増えようが物が増えようが、何も変わらないしそこじゃないんだってことがすごくわかりました。
良い経験でした。
じゃあ何があったら幸せって思えるの?と言う事ですが、それはその後に見つけたヨガとかヒーリングとか、チャクラとか。。。
そこかなあと何となく遠くの方で感じてます。
今は毎日、不思議な中にいる感覚です。
まだまだ知らない世界、それが自分の中にあったんだという発見というか。。
>最初は嬉しかったんですが、結局幸せってそこにはないんだなあ、というのが今の実感です。
>お金が増えようが物が増えようが、何も変わらないしそこじゃないんだってことがすごくわかりました。
>良い経験でした。
>じゃあ何があったら幸せって思えるの?と言う事ですが・・・
何が人の幸せなのでしょうね?
私も分かっていません^^;
お金、恋人、結婚、権力、名声、地位、名誉・・・
その人生の段階に応じて、何か幸せになりそうなものを人は常に追い求めています。
ただ人は、何かを得たり、何かをすることによっては、幸せになれないようです。
http://indian-vedic-astrology.com/kotoba-satidananda-1.html
結局、自分の本性を悟るというところがゴールであり、真の幸せなのではないかと思います。
同じようなことを白隠禅師も仰っています(地蔵和讃)
http://indian-vedic-astrology.com/brog-1/2016/03/27/hakuin-zenshi/
パラマハンサ・ヨガナンダ師はこんなことを言っています。
『 人は皆、一つの幸福が終わるたびに、
いつまでも変わらない完全な幸福を与えてくれそうな別の何かを求めて、
永遠の探求をしています。
この探求は、それを神に求め、神に発見した時に終わります。
神こそがその“別の何か”だからです。』
―「人間の永遠の探求 パラマハンサ・ヨガナンダ講和」
本当の幸福は、私もまだまだ分かっていません^^;
お互い、幸せが見つかるといいですね。
私の幸せは猫です!
猫が幸せそうなら私も幸せです。
最近はうちの猫の具合が悪くて心配です。
早く良くなりますように。
そうでしたか・・・お辛いですね。
無事治るといいですね。
私もシャンティさんと同じです。
ねこの幸せが私の幸せです。
それに比べれば、他の幸せは些末なことです。
私はこれまでに、何十匹もの猫を亡くしてきました。
その度ごとに、私は治るように祈り、それでも苦しんで亡くなり、泣いてきました。
私がどれだけ彼らの苦しみが欲しかったか・・・・
どれほど肩代わりしたいと思ったか・・・
でも、どれだけ祈っても、神様は答えてくれませんでした。
「私は不幸でかまいませんから
どうか、彼らを助けてください。
私の幸福はいらないですから
どうか、彼を幸せにしてください。
私が苦しみを請け負いますから
どうか、彼を救ってください。
私の幸福を取り除いて
どうか、彼らに回してください」
そんな風にどんなに祈っても、その多くは亡くなりました。
でも、亡くなってもずっと罪悪感や悲しみは消えず、
亡くなった後でも、苦しみをもらい、幸せを続けようとするのですね。
「友人も、恋人も、お金も、名誉も、仕事も、食事も、贅沢な暮らしも
もう私はいりません。
私は何の幸せもいりません。
苦しんで死んでも構いません。
彼らの苦しみを取り除き、すべて私に返されますように・・・
私の幸せを取り除き、すべて彼らの元に行きますように・・・」
もう、何万回もそんなことを祈ってきました。
自分の幸せを担保にして
他の幸せを買えたら、どんなに良いだろう・・・
ずっとそんなことを思い続けてきました。
個人的な幸せを放棄し、
苦しみを求めて、
25年以上も毎日祈ってきたように思います。
おかげで、私は、死も、苦しみも、孤独も、個人的な不幸も、何も怖くなくなりました。
本当のことを言えば、私は、解脱とか、永遠の平安とか、天国とかどうでもいいのです。
私が本当に欲しいのは、彼らの苦しみを貰いたいのです。
そのために、信仰や霊性に目覚めたと言っていいでしょう。
苦しみを求めて、苦しむために、神様を求めていたのです・・・
サイ信者、失格ですね^^;
私には、少なくともあと9回の地獄があります。
その日、私は同じように神様に祈り、猫が亡くなり、わんわん泣くのでしょう。
私にとっては死ぬより苦しいかもしれませんが、その苦しみを受ける覚悟もできています。
よく、ペットの死に遭遇して、「こんな経験をするなら、もう飼いたくない」と言う人が沢山います。
猫や犬が病気や死に遭遇する時、飼い主は大きな苦しみを味わうでしょう。
でも、野良だったり、保健所で殺されるのだったら、もっと不幸な一生だったでしょう。
だから、その苦しみにも逃げずに請け負うことが、猫や犬たちにできるせめてものことではないかと思います。
シャンティさんは今も苦しいかもしれませんが、あなたがその猫を飼ってあげていなかったら、その猫はもっと不幸だったでしょう。
だから、そのあなたの苦しみすら、猫のためでもあります。
いつか猫たちが亡くなる日、シャンティさんも大きな悲しみや苦しみを受けるでしょう。
でも、それもその猫のためと思い、苦しんであげてください。
猫とシャンティさんが、幸せでありますように。
さいらむ。猫のためにお祈りありがとうございます。
前回のコメントからしばらくして猫が虹の橋を渡って行ってしまいました。
猫は神様からの預かりものですので神様に返すのはいいのです。
猫とのお別れは悲しいですが、仕方がない。
でも猫が病気になった時に正しい判断ができないのがつらいです。今は治療方法がたくさんありすぎて選択に迷うし、獣医師によっても治療法の違いだけでなく病名まで違う、さらには誤診もある・・・。調べれば調べるほど情報にも振り回される。それがいちばん猫に申し訳ないです。
すべての猫が幸せでありますように。
さいらむ
そうでしたか・・・お辛かったですね。
お悔やみ申し上げます。
私も一匹、誤診で猫を亡くしています。
自分が最善をつくせれたときはいいですが、私のせいで亡くなった猫もたくさんいます。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
自己犠牲の精神って結局自己満足だなと思います
なぜなら
自分が不幸せな気持ちで他者を幸せにはできないから
自分が幸せなほど
その幸せのパワーを他者にプレゼントできると私は思います
ほんとに猫が好きで
ほんとに猫を幸せにしたい
自分の幸せを猫にあげたいなら
まず自分が幸せになることです
お金があるから餌をあげられる
愛があるから抱きしめであげられる
それと同じように
心に余裕があるから豊かな愛を捧げられる
自分が健康だから看病してあげられる
と私は思います
幸せそうな飼い主に飼われている猫は幸せそうだなと思います
人間ってオーラというか空気感、雰囲気というのがあって
素敵な空気感、雰囲気、楽しそうな人といると楽しい気待ちになります
辛そう、悲しそう、しんどそうな人といるとその気持ちも伝染します
お前だけが全て
お前だけを愛する
という悲壮感漂う愛をぶつけられるのは
猫にとって幸せでしょうか?
そういうのは愛してる側は愛してる実感があり
気持ちいい自己満足に浸れるかもしれませんが
愛される側にとっては辛いんじゃないかなあ
苦しむことが愛ではないと思います
飼い主が苦しんだ分猫が幸せになれるわけではないと思う
その猫の存在を幸せに思い楽しむ笑顔を向けること
嬉しく過ごすこと
その空気感こそが
猫への最大のプレゼントかなと思います
命とは無限ではないし
不死という非現実を望むことが愛ではないと思う
生まれてきてくれたことに感謝し
共に過ごしてくれた時間を幸せに思うことこそ
その猫たちへのリスペクトになるのでは?
本当に猫の幸せを願うなら
自己満足の自虐を脱して
本当に猫が喜ぶことをしてあげてほしい
猫は賢く優しいです
飼い主が悲しむことを願ってなどいないと思います
横入りすみません。
プシュアと申します。
ISOPさんは、どうしてそこまでの思いを猫ちゃん達に持たれるのでしょう。。
これは否定ではなくて、今まできっと、何かがあったのだろうと思いました。
ISOPさんの中で、深い深い何かがあったのだと感じています。
なのはさんの考えに行きつくことが出来れば、もっと心が楽になれますよね。
余計なことをすみませんでした。
なのはさんとは違う切り口だと思うのですが・・・・
生命は大切です。しかし(少しきつい言い方かもしれませんが)、「いつまでもそばにいてほしい」という「執着」は、断ち切らなければならないのかもしれません。
結局全てなるようになります
運命を予測できてどうにかしたいなら
運命改善の方法を試せばいいのですよ
それでもやはりなるようにしかならない
でも、どんな状態状況でもやれることをやるのが全力
ただしそれは現実に則してやると選択するのも全力
自由なんです
他の者を助けるのも好きでやっている事なのですよ