質問者「部分的な明け渡し…、それで運命は取り消せるのですか?」

ラマナ マハルシ「ああ、もちろんだ! それは可能である」。

質問者「運命は過去のカルマによるものではありませんか?」

マハルシ「もし神に明け渡したなら、神が面倒を見るだろう」。

質問者「それが神の定めであるなら、どうやって神はそれを取り消すというのでしょう?」

マハルシ「全ては神の中にのみ在る。

全能者の恩寵の力である、自ら(真我=アートマン)の力にとって不可能なことは何もない。

『私は不浄な体である』という概念なるマーヤー(幻影)の汚れた性質のために、

『剣と盾の力を通してのみ可能である』と言う人々もいる。

力と安らぎが異なるという人々はそれらを正しく知っていない。

内に安らぎとして行き渡るものが、外に力として表されている」

「運命とは何か?

あなたが高き力に委ねるなら、運命がどうしてあなたに影響を及ぼせるのだろう?

全託(明け渡し、お任せ)が答えである。

それは全てのものを正しく調える。

運命に何ができるというのか?

あなたが完全な全託を行うなら、運命は働かなくなる。

あなたは心配から解放される。

心は穏やかになり、安らぎが行き渡る」

 

―ラマナ マハルシ

 


「神に関することで不可能という言葉は存在しない。

神はあらゆることを達成する。

あなたが神に完全に全託するなら、

神はあなたの行為の結果を取り消して、

あなたに恩寵を注ぐことができる。

自分はカルマパラ(業)に縛られていると考え、憂鬱になったり落胆する必要はない。

あなたの祈りが真摯なものなら、

神はあなたのカルマパラを取り消すことができる」

「完全に自由な存在は、どの場所でも、どの姿でも選ぶことができる。

どのような場所や姿であれ、それが信者の熱意を満たすという目的を促進するのであれば、その場所と姿が神の意志によって選ばれる。

神は時間と空間の限界を超越している」

「私はいかなる場所にも属さない。

私はどのような名前にも執着しない。

私には『私のもの』『あなたのもの』という区別はない。

どのような名で呼ぼうとも、私はそれに応える。

必要とされるところ、求められるところへ、それがどこであろうとも私は行く」

「『ああ、これは私の運命だ、私自身の過去(カルマ)が私を罰している。私は苦しまなければならない。そこから逃れることはできない』と嘆き悲しんではならない。

このようにして人々は落胆する。

もしカルマ(行為の結果、因果応報、自業自得)がそれほど避けられないものなだと言うのなら、

祈り、主の御名を思い出すこと、瞑想、礼拝儀式は何のためにあるのか?

信仰を抱き、信仰を貫き通し、主の恩寵を勝ち得なさい。

そうすれば積み重なった重荷は全て、一瞬にして灰になるだろう」

 

―サティヤ サイババ

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