質問者「人の人生において、彼の国、国民、家族、仕事、職業、結婚、死などにおける顕著な出来事が、彼のカルマ(行いの結果)によってすべて宿命づけられていることは理解できますが、しかし彼の人生の詳細すべてにいたるまで、取るに足らないことまで、すでに決定されているのでしょうか?
例えば、いま私は手の中の扇を床の上に置きました。それはこの日、この時間に、私がこのように扇を動かし、このようにここに置くという事まで、すでに決定されているということなのでしょうか?」

ラマナ マハルシ「もちろんだ。 

何であれこの身体がすること、そして何であれそれが通り抜ける体験は、その身体が存在を現したときにすでに決定されているのである」。

質問者「それでは人の自由や彼の行為に対する責任はどうなるのでしょう?」

マハルシ「人が手にできる唯一の自由とは、努力をしてジニャーナ(叡智)を得ることである。

それが彼と身体との同一化を断ち切る。

身体はプラーラブダ(前世から持ち越した清算されるべきカルマ)によって宿命付けられた、避けることのできない行為を通り抜けていくだろう。

人は身体と彼自身を同一視し、その身体の行為の報いに執着するか、

あるいは、それから離れ、身体の活動の単なる目撃者になるか、

という選択の自由だけを持っているのである。

身体が通り抜ける全ての行動は、それが生まれたときに決定されているのである。」

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