【ダシャー・日記】金星-水星期:NEDOのその後
というわけで・・・
以前、コメント欄にも少し書きましたが、2月末に応募したNEDOは、みごと不採択・落選致しました!(笑ってやってください!)
ダシャーが金星-水星期に変わり、トランジットもT土星8室が解消し、プラシュナでは「NEDO受かる」と出て、さらにはWトランジットが11室(NEDO結果発表当時)となり、かつNEDOのテーマも非常に提案に即したテーマであったのにも関わらず、不採択となりました。
これだけ指標があり、なぜ落ちる?
う~ん、自信あったのになぁ・・・これを外すとなると、もう占星術師はやってられないですね。 もう、自信喪失、商売あがったりです(^^;
一応、なんで外したか考察すると・・・金星-水星期は思ったより悪い時期なのかもしれませんね。
水星は12Lで12Hの定座。金星・土星と同居。木星のアスペクト・・・不完全なヴィパリタ組んでます(8Lと12Lの同居。6Lのアスペクト。金星は異物。)
まぁたしかに、パッとしないけど、土星よりマシだと思ったんですが・・・
そもそも、ダシャーはともかく、プラシュナ外すってどういうことよ?!
さて、NEDOに落ちたので、会社再度休眠させて、就職活動してるのですが、4つぐらい落ちました・・・もう50才なんで、再就職も厳しいです。
さらには、先週、税務調査がありました。
法人でなく、個人事業(モーダカ)の方(SHANTI GANESHA)なんですが、不正とかではなく、「売り上げ少ないから、事業として認められない」と言われました。
「そりゃ、火事やったし、その復興中ですから!」と反論しましたが、おそらく認められないでしょう。
いろいろ追徴課税で、数年分遡って、お金返さなければいけないかもしれません。
もう踏んだり蹴ったりです!やはり、金星-水星期も期待できませんな!
いや~、まだまだ苦しい時期は続きますね!
でも、年末年始よりはマシかな・・・
むしろ、これだけ悪いと、逆にチャレンジ精神が出てきますな!
悪い中、NEKOSUKEを立ち上げられただけでも、良しとするか・・・^^
関連記事:
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初コメです。自分もダシャー的にイケるだろ!って期待してたのに玉砕したことあります(^◇^;)。でも良い時期に努力してもご縁が無かったものは、あとあと、最終的には良い展開に落ち着くような気もします(^○^)。
カラスさん
コメント、ありがとうございます。
金星-水星期も早々から、厳しいですね
こちら就職もままならず、未だ無職状態です。
もう50才にもなると、再就職も難しいですね。
これまでに15社ぐらい落ちましたね。
先週は11社エントリーして、そのうち7社落ちました・・・残るは4社です!
ただリスクを承知で会社立ち上げて玉砕したんですから、後悔はありません。
こうなるのも想定の範囲内ですね!^^
まぁ、無職というのも好きなことできて楽しいから良しとしましょう。
>でも良い時期に努力してもご縁が無かったものは、あとあと、最終的には良い展開に落ち着くような気もします(^○^)。
そうですね!ありがとうございますm(__)m
ダシャー・チッドラで、金星-土星期をまだ引きずっている可能性もありますし。
まぁ、そのうち落ち着くでしょう。
仮に落ち着かなくても、全部神様にお任せです。
神様の好きなところに運んでくれれば、私は満足です。
返信ありがとうございます。(^○^)
また更新お待ちしてます(^○^)
ISOPさんこんにちは〜
猫さま達とゆっくり過ごされてるかな チャラダシャーの悪い時期を抜けたらまた動かれるのかなぁ
ブログもちょこちょこ更新してくださいね〜
楽しみにしてますよ♪
みちるさん
返信遅くなりましたm(__)m
求人に応募しても、ほとんど落ちるので、ずっと内職をしていましたm(__)m
この内職が結構楽しく、1日12~15時間、仕事に没頭しています。
メシも食べたくなく、しょうがなく一日一回取るといった感じです。
ただ、まだお金にならんのですがね・・・(お金になるのはあと1~2か月かな?)
仕事の応募の方は、合計20社ぐらい落ちまくって、残るは2社です。
なかなか世知辛い世の中ですね^^;
私のダシャーは、ヴィパリタ・ラージャ・ヨガという「苦難からの逆転のヨガ」がたくさんあるので、いつか良い方向に逆転するんじゃないかと、あまり期待せずに待っています^^
こんにちは。介護とか福祉系とかはどうなのですか?介護の経験おありですよね?私も50代で再就職を検討中なのですが、あまり世知辛い所に入っていっても、どうせ辛いだけですので、いかがなものかと考え中です。最初から覚えないといけないことも多くて、パワハラとか辛いですわ。シルバー人材って年でもないですし、年齢が中途半端ですよね。
パート、アルバイト、契約社員・・・働き方はなんでもいいかな、と思ってます。そんなことよりも、自分の持ち味をある程度出せて、貢献してるって実感の方が欲しいです。現状、ほとんど国民年金しかかけてないですし、年金は後ろにずらして70歳までもらえませんな・・・。
金持ちでも何でもないですが、5室の射手座に木星があって株式投資が好きなので、普段は資産運用みたいなことをしています。でも、世の中のサービスを受けているわけだから、貢献しなくては、と悩んでます。地方都市に住んでいると、固定観念が強くてまわりにいろいろ言われますしね(笑)
私も、ナバムシャで、射手座アセンダントで8室に火星(5室8室支配星)と金星(6室11室支配星)の2つの惑星がコンジャクトしていて、ヴィバリータラージャヨーガっぽいです。苦労の末の変容だとか(笑)
ISOPさんは、良くも悪くも相当な変わり者ですよね(笑)
猫に対する執着が半端ない。あと、アスペっぽい(笑)
茶猫さん
こんにちは。お久しぶりですm(__)m
>こんにちは。介護とか福祉系とかはどうなのですか?介護の経験おありですよね?
たしかに介護の経験もあります。
ただ、年齢的、体力的に厳しいかな・・・
夏の入浴介助なんて、2Lぐらい汗かきますからね。
別に警備でも、誘導でも、介護系でもいいのですが、それらは最後の手段ですね。
できれば、私にしかできない仕事をしたいですね。
ノーベル賞でも取れそうな磁石のアイデアがあるのですから、やはりそれをやりたいですね。
それが私にとって、一番社会に貢献できる方法ではないかと思います。
私のチャートは、
・6L→12Lアスペ
・6L→8Lアスペ
・8L-12Lコンジャクション
・8L12H
・12L12H
・6L8H
と12室に5つ、8室に1つのヴィパリタがあります。
まぁ、いつか良いことあるでしょう!^^
>猫に対する執着が半端ない。あと、アスペっぽい(笑)
猫への執着は、私の最後の執着です。
こればかりは、どうやって無くせばいいのか分かりません^^;
正確に言うならば、猫に執着していると言うか、猫の幸せに執着しているんですね。
別に、誰かに貰われていくのなら、すぐに手放すし、
幸せな形で亡くなってくれるのなら(←老衰とか穏やかな死)、それは私にとって喜ばしいことです。
私にはいまだに、「執着」と「愛」の区別がつきません。
霊性的に言えば、「執着は取り払うべきもの」、「愛は得るべきもの」で、正反対なものですが、違いがよく分かりません。
愛は定義不能と言いますが、私ができる精一杯の「愛」の定義は、
「自他不二」、「自己同一視」、「一つであるという事実または感覚」、「自分と他人が消え去ること」、「エゴ(自己)の消失した後に残るもの・空」ではないかと思います。
そこから派生物として、相手への好意・同情・優しさ、思いやり、相手の幸せを願う心・相手の痛みを自分の痛みのように感じる心・相手の喜びを自分の喜びのように感じる心、自分が不利益や傷ついても相手を助ける自己犠牲、無私の行為・見返りを期待しない奉仕、などが生まれるわけです。
でも、この愛の定義だと、
相手が不幸や苦しみに合う時、自分も苦しいわけですが、
「愛で苦しみが生じることになるのかなぁ?これは執着ではないか?」
と自分の中で混乱するわけですよ。
要は、「愛から不幸は生まれない、執着から不幸が生まれる」という事実に反するわけですね。
未だに、この正反対なものを区別できない私は、まだ霊性の道の初心者です。
もし茶猫さん、この辺りのこと、お分かりでしたら教えてくださいm(__)m
そうなのですね。介護業界ってそんなに体力的に大変なのですね・・。僕にも続きそうにないです・・。ちょくちょくネットで求人を探すのですが、贅沢といいますか、プライドが高いといいますか、人間が出来てないといいますか、住んでいる地域での求人を見ていると、逆に情報量が多すぎて割り切れなくてげんなりします。明日食うに困るとか、家賃が払えないとか、そういう状況になっていないから、切羽詰まっていなくてズルズルと(笑。
愛と執着の違い・・・。
ISOPさんの方が知的水準が高いのですから、僕にそんな難しいことを聞かないでください(笑)。でも、ちょっと考えてみました。
愛は他者に向いていて、執着は自分に向いている、ですかね?
愛されようとするより愛している方が幸せだから、その心が相手に向かっているのが愛で、愛して欲しいとか、コントロールしたいとか、失いたくないとか、自分に向かっているのが執着ですかね。
となると、猫への執着が半端ない、ではなくて、猫への愛が半端ない、かもしれませんね!
自分を犠牲にしてでも、猫を愛そうとしていますからね。
最近母親を亡くしましたが、母親が苦しんでいたら、私自身も苦しかったですよ(笑。でも、それって執着とは違いますよね・・。また、自分の子供を亡くせば、誰だって苦しいですし、それも執着と言えるのですかね?
そう考えると、(自我のない)神様が親だとして、わたしたち神の子を亡くせば苦しいかもしれないし、わたしたち神の子が苦しんでいるのをみれば、神様も苦しまれるかもしれない・・。それを神様の執着といっていいのだろうか?
執着かどうかはわかりませんが、どちらにせよ、本来の姿といいますか、本然の姿といいますか、神様が創造したままの私といいますか、私たちの本来の心の在り様から外れていなければ、どちらでもいいのではないでしょうか?
自己愛と他者愛の関係にも通じる気がします。
きっと、神様には、自己愛はなくて他者愛しかない・・・。
茶猫さん
ご返信、ありがとうございます。
大変参考になりますm(__)m
>愛は他者に向いていて、執着は自分に向いている、ですかね?
なるほど。そういう説明もありますね。
執着は奪い、愛は与える。
執着は得ようとし、愛は手放そうとする。
執着は束縛し、愛は自由にする。
私たちが一般に「愛」といっているのは、『独占欲』、『性欲』、『支配欲』、『所有欲』等の『欲望・執着』ですね。
私たちはそれらを、かっこつけて『愛』と言っているだけですね。
まぁ、クソも味噌も一緒にしちゃってますね。
例えば、『私の○○○をあなたの○○○に突っ込んで、○○をぶっ放したい!』とは言わず、“あなたを愛している”と言う。
そっちの方が、聞こえがいいからです。
これは、ほとんど詐欺に近いですね^^
愛なら違うのでしょうね。そこに、『自分』も『相手』も存在しない。
『あなたが誰かを愛している時、あなたは存在しない』
たしか、和尚の言葉だったかな?
>最近母親を亡くしましたが、母親が苦しんでいたら、私自身も苦しかったですよ(笑。でも、それって執着とは違いますよね・・
愛について一般に言われるのは、
・神は愛であり至福
・愛は無条件
・愛は無差別(万人・分け隔てない・偏ってない)
神の愛に一番近いのは、母親の愛と言われます。
母の愛は無条件で、子供のためなら、すべてを犠牲にするでしょう。
それでも、神の愛とは異なると言われます。
それは特定の人のみ、偏愛だからです。
また、「愛」は至福ゆえ、悲しみ・苦しみの原因にはならないのだと思います。
もしなるのだとすれば、それはおそらく「愛」ではなく、「執着」です。
だから、私が猫を亡くして悲しいのも、茶猫さんが母親が亡くなって悲しいのも、誰かが子供を亡くして苦しんでいるのも、すべて執着なのだと思います。
でも、私にも違いがよく分からない・・・
イメージとしては、「大いなる受容」、「大いなる空(くう)」・・・
色でいくと、透明に近いのかなと・・・
透明は全ての色を受け入れ、すべての色になれる。
色として説明ができず、概念がない。
無(空)であると同時に、すべてである。
もし、本当の愛を知る時・・・それは悟りを開く時・全知を得る時・神を知る時・ニルヴァーナを得る時と同義なのかもしれませんね。
その意味では、まだ分からなくて当然なのかもしれません。