【芸術(音楽)】:音楽生成AIでの新たな作曲(好きな詩)
音楽生成AIの「Mureka」を以前に紹介しましたが、
前回の曲に加え、またこちらのAIで曲を作ったので公開します。
今回は好きな詩を歌にしてみました。
暇な時にでも聞いてみてください。(前の2つもつけておきます)
【花は咲き】
https://www.mureka.ai/ja/song-detail/77573044436994?from=library_my_song_published
【生きとし生けるものが幸せでありますように】
https://www.mureka.ai/ja/song-detail/77675645435905?from=library_my_song_published
【危険から守り給えと祈るのではなく・・・】(タゴールの詩より)
https://www.mureka.ai/ja/song-detail/81188725260289?from=library_my_song_published
【雪の日に】(吉野弘の詩より)
https://www.mureka.ai/ja/song-detail/81912420958209?from=library_my_song_published
【私が両手をひろげても】(金子みすゞの詩より)
https://www.mureka.ai/ja/song-detail/81185445314561?from=library_my_song
【はちはお花のなかに】(金子みすゞの詩より)
https://www.mureka.ai/ja/song-detail/81184950386689?from=library_my_song
歌詞がうまく発音できてないところがあるけど・・・
プロプランじゃないと修正できないので、しょうがないです。







火事のその後いかがお過ごしでしょうか
菜食を模索したり
インド占星術を広めたり
ガネーシャを作ったり
そんなisopさんが不幸になるわけがないと思いながらも
離婚や火事を経ていられることを鑑みると
やはり解脱には苦しみが伴うのか
いや幸せになるためにその前に段階として苦しみがあるのか
などと考察しています
塞翁が馬
不幸と思った火事が実は幸せなことだった
という展開も
よもやあるのかもなどと
もしくは
良い行いを上回る悪い行いをされているのでしょうか
インド占星術的にいう
悪い行いとはなんでしょうね
例えば良い行いと言われている菜食
それを守ると栄養失調になると言われています
しわしわになったり
特に子供は菜食していると栄養不足になるとか言われていますね
しかし草食動物は草を食べているのに逞しい肉体をしています
全然しわしわではありませんよね
人間も工夫次第で菜食のみで栄養が事足りることができるのかなあなどと考えたりもします
そもそも幸せとはなんだろう
火事も離婚も大したことではないです。
時間が解決してくれる問題です。
世間一般に言われる幸せとは、泡沫(うたかた)のようなものです。
おそらく、本当の幸せとは、周りで起こる事象に影響されないものです。
人の本性は至福であるとされます。
ただ、それを忘れてしまっているだけ。
水の中で、口が乾いたと、水を求めるようなもので、本当は幸せなのに、幸せになりたいと、もがいているようなものとされます。
この幸せは本性であるため、理由や原因を必要としません。
自身に対する理解が苦しみの終焉と言われる所以です。
自分が何者かを悟るために生まれてきたとも言えます。
いつかコメントしましたが、
私は神様が幸せにしてくれるとは信じていません。
でも、私を導いてくれていることは疑いません。
きっと、苦しみも悲しみも、私に必要なことなのでしょう。
それはカルマの解消であったり、成長のためであったりする訳ですが、全ては私にとって最善なことです。
「産みの苦しみ」と言いますが、成長したり、何か価値のあることが生み出される時には苦しみは必要なのでしょう。
白隠禅師は「南無地獄大菩薩、我に七難八苦を与えたまえ」
と祈っていましたが、それぐらいで、ちょうどいいのかもしれません。
私の好きなサッチダーナンダの幸せに関する言葉です。
何かの参考になれば・・・
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「幸福」
ひとは、
何かを“行なう”ことによって
幸せにはなれない。
いわゆる霊性の修行や祈り、
“神の探究”をも含めて、
何かを達成して幸せになることはできない。
神ですらも、
ひとに幸福を与えることはできない。
たとえそれができたとしても、
神はそれを奪いもするだろう。
何であれ、
来るものは去っていくのだ。
われわれは、“神の探究”の名のもとに
不幸になる多くの人びとを知っている。
幸福は、
外に求められるものではない。
それは、外から来ることはできないし、
内から来るものでもない。
それは、決して“来る”ものではない。
それはただ“在る”のだから。
それは常に在る。
どこにあるのか。
どこにでもだ。
そこには、ただ幸福があるだけだ・・・
ひとが自分のことを幸福だと思えないのは、
それを忘れているからにすぎない。
目標は自らの本性を悟ることだ。
自らの平安、
自らの幸福、
自らの神性を知ることだ。
そうでなければ
ひとは決して幸せであることはできない。
幸福になったと思っても、
すぐにまた不幸になるだろう。
自分が幸せだという事実を知らなければ、
だれも本当に幸せなることはできない。
それが“神”のありようなのだから・・・
サッチダーナンダ師―「サンカルパ」:青山圭秀
人の向上心に意味はないのか
努力しても無駄なのか
どう思いますか?
やはり因果はあり
幸せになるためにした努力は
返ってくるのだと思います
しかし幸せになるためにした行為が
実は不幸せになる行為であることもあり
インド占星術や宗教は
どの行いこそが幸せの元になるのかを
説いてるものだと思っています
同じく
どの行為が不幸を産むのかも
例えば仏教では物を盗むのはだめだと教えています
それはその行いにより不幸を生むから
長く生きていてスピリチュアルを学び思うことは
バレるバレないに関係なく
やはり物を盗むとその因果は返ってくると思います
多分理屈でも説明できる事象なんでしょうが理屈で説明すると
とても長い文章になり
難しい話しになると思います
シンプルにいうと
因果は返ってくる
ということなのですが
物を盗んだり
人に不利益を与える人は
そういう回り回って巡る道理を
見えないものは無いもの
として
バレなければいい
ぐらいの気持ち
自分が得をすればいい
自分達さえ良ければ
他人が不幸でもいい
ぐらいの気持ちで行っているのでしょう
特に日本ではそのような考えの方が増えてきています
いろんな人を見てきて
物を盗む人はやはり人間関係においても恵まれていないし
盗んだからといって
お金持ちにはなってません
ずっと貧しいです
そして
貧乏でも
優しい言葉で人を幸せにして
良い因果のみを積んでいる人は
良い巡り合わせにあい
お金持ちになっていったりしていますね
お金持ちでも人を不幸にしている人はいます
でもその人を見ていると
やはり一方では素晴らしい面も持ち
プラスマイナスでプラスが上回っています
そしてやはり
マイナスの部分は必ず精算する時期(カルマ)を迎えています
幸せも不幸も自分次第であると私は思います
もちろん他者から被害を受けることはあります
抗えない力で傷つけられることもあります
人は影響しあって生きているので
やはり良くない人が近くにいると
自分も不幸が電波します
しかし自分が良い行いを続けていると
良い因果を生み
良い流れに乗って幸せになるのは明白なのです
ですから不幸な時は
自らの行いを見つめなおし
正していくことも大事ですが
良い因果を生んでいる人から学び
真似ることがその成果を最大限に上げると思っています
幸せも不幸もないといいますが
例えば飼っているペットが健康に心穏やかに日々過ごすことは
幸せであると思いますし
逆に
飢えて傷つけられているペットは不幸であると思います
幸せや不幸せは
存在すると思います
他者を不幸にする人の多くは
自らも傷つけられて
傷ついてる人です
悪い因果が循環している
その循環を抜け出す教えこそが
スピリチュアルなのだと思います
良いことをしているのに
不幸なままだと
言う人は
見ていると
悪い言動をしっかりしているのですよね
心改めて良いことをしだしても
すぐに不貞腐れて
一日で辞めたり
長くても数年で諦めます
心改めて良い言動をしようとした分だけ
良い因果を生んでいるんですが
結果が微小なのでその差に自分では気づかないのです
だからこそ
良い因果を生んでいる人を心の師匠とし
周りにいるそんな人の言動を
見ることが大事だと思っています
不幸な人は
自分ではこれぐらい
と思っていることが
大きな悪い因果を生んでいることが多いです
自分のことは見えないのです
だから良いお手本を持つことは大事ですね
匿名さん
お返事遅くなりましたm(__)m
>人の向上心に意味はないのか
>努力しても無駄なのか
>どう思いますか?
幸せになるのに、努力は必要でしょうね。
匿名さんが仰るように、悪い種からは悪い花が咲き、善い種からは善い花が咲きます。
誰も自分にふさわしくないものを受け取る人はいません。
その意味で、善行や奉仕に努力し、勤しむ者は、良い結果を受け、幸せになれるでしょう。
ただ、大事なのは、努力の結果については執着しないことです。
カルマの結果はいつ返ってくるか分からないので、なかなか努力が実を結ばないこともあるでしょう。
行為の結果は神様のものです。
人間のするべきことは努力することだけです。
私の好きなバガヴァッドギータの言葉に
「いかなる努力も無駄にはならず、失敗もまたありえない。
おまえが気にすべきは行動そのものであり、行動の結果ではない。
この世で最も哀れなのは、行為の結果のために生きる者である」
という言葉があります。
行為の結果に左右されることなく、努力し続けることが大事なのでしょうね。
結果を放棄し、幸不幸に左右されなくなった時、不動心を得ることができます。
これまた私の好きな言葉で、周りに左右されず、良い行為を推奨するマザーテレサの言葉があります。
ーーーー
人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。
あなたの正直さと誠実さが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。
けり返されるかも知れません。
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい
―マザー・テレサ
>シンプルにいうと
>因果は返ってくる
>ということなのですが
カルマの法則は、簡単に言ってしまえば、自分の蒔いた種は自分で刈りとるということです。
だから、未来のために種を蒔くという、「未来逆算」で考えてみるのもいいと思います。
10年後、20年後の自分が素晴らしくなっているとしたら、今どんな種を撒けばいいか・・・
自分の子どもたちが成長し、社会を担う人々になっているとしたら、今どんな人間関係を作り、何を伝えていくのか・・・
そうやって、未来から変えていけば、今日の行動が変わるでしょうね^^
そして私にとって良きお手本はISOPさんです
私は幸せ不幸せはあると思っていますが
ISOPさんはそれを超越されたところで達観されていて
素晴らしいと思うし
目指したいです
ISOPさんのおかげでインド占星術の勉強もできているし
菜食のお店も知れました
良い情報を沢山発信してくださる
ISOPさんには感謝しています
いつもありがとうございます
私をお手本にしてはいけません。
こんなのをお手本にしたら、きっとろくな人間になりません!^^
マザーテレサとか、インド人聖者とか、神の化身(ラーマやクリシュナ)なんかをお手本にしてくださいm(__)m
人生の選択や、日々の行動・判断に迷った時、
「マザーテレサだったら、どうしただろう?」とか、
「クリシュナ神にアドバイス求めたら、なんて言ってくれただろう?」とか、
「もし自分が“愛”だったら、どんな行動をとるだろう?」
と考える癖をつけると、迷わずに正しい選択を取れるようになれると思います。