「瞑想」


幸せや快楽は

それなりの支払いをすれば

どんな場所でも買うことができます。

しかし

至福をかいもとめることはできません。

自分自身のためにも

ほかの誰かのためにも・・・


幸せや快楽は

時間に縛られています。

至福は自由のなかにのみ存在します。


快楽は幸せとおなじように

いろいろなしかたで

さがしもとめたり

見つけたりすることができます。

しかし それらは

おとずれては 去っていきます。


至福というのは

ふしぎな歓びを感じることです。

そこでは どんな渇望もおこりません。

至福をさがしもとめることはできないのです。


あなたの心の質にもとづいて

ひとたび至福がおとずれるなら

そのままとどまります。

時間もなく

原因もありません

それは 時間によって測れるものではないのです。


瞑想とは

快楽を追いもとめることではありません。

幸せをさがしもとめることでもありません。


瞑想とは

概念や固定観念が なにひとつない心の状態です。

心が完全に自由になった状態です。

そのような心にだけ

至福がおとずれます。


さがしもとめてもいないし

招きよせてもいないのに・・・

ひとたび至福がおとずれると

喧騒や 快楽や 暴虐にみちた世界に生きていようと

それらが 心にふれることはありません。

ひとたび至福がおとずれると

葛藤はなくなります。


ただし葛藤がないというだけでは

完全に自由になっているというわけではありません。


瞑想とは

完全な自由のなかで

心がはたらくことです。


至福が炸裂するなかで

瞳は無垢になります。

そのとき

愛は至福になります。


あなたがたは

はたしてわかっているでしょうか?

あなたが すべてに注意をはらえば

完全なしずけさがおとずれるのです。


その注意のなかには

どんな境界もありません。

中心となるものもありません。

気づいている“わたし”とか

注意をはらっている“わたし”のようなものはありません。


この注意

この静けさ

それが瞑想の状態です。



- J.クリシュナムルティ-