「あるがままで完璧」


与えるものなど何もないし
得るものなど何もない。
すべてはそのあるがままで
完璧にOKなのだ。
どんなやりとりの必要もない
あなたはあなたのそのあるがままで絶対的に完璧なのだ。

東洋のこの教えは
西洋では非常に誤解されてきた。

彼らは
「これは何という教えだろう?」と言う。
「そうしたら人々は努力しようとしないじゃないか。
そうしたら人々はより高い所へ進もうとしないじゃないか。
そうしたらみんなは
自分の人格を変えたり
自分の悪い道を善の道に転換したりする努力を
これっぽっちもしないじゃないか。
そんなことをしたらみんなは悪魔の餌食になりかねない」
というわけだ。

西洋では「自分を改善せよ」というのがスローガンだ。
この世に関してでも
あの世に関してでも
とにかく「改善せよ」とくる。
どうやって改善するか
どうやってもっと偉大になったり
もっと大物になったりするか---

東洋では我々はこれをもっと深く
まさにこの何かになろうとする努力自体が障壁(バリアー)なのだと取る。
なぜなら、あなたの<実存>は
あなたがすでに宿しているものだからだ。
何になる必要もないのだ。
ただ自分が何者であるかに気づくこと
それがすべてだ。
ただあなたの内に誰が隠されているのかを知ること――

「改善」?!
何を改善したところで
あなたはいつまでも不安と不幸から逃げられまい。
なぜならば
改善しようというまさにその努力自体
あなたをあらぬ道に導いているのだから。
それが「未来」に意味を持たせ
「目的地」に意味を持たせ
「理想」に意味を持たせる。
そうして、あなたの心は欲望と化す。
欲望して、あなたは道を誤る。

欲望を鎮まらせなさい。
無=欲望の静寂の淵になるのだ。


― OSHO(「存在の詩」より)


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