「幸福」



ひとは、

何かを“行なう”ことによって

幸せにはなれない。


いわゆる霊性の修行や祈り、

“神の探究”をも含めて、

何かを達成して幸せになることはできない。



神ですらも、

ひとに幸福を与えることはできない。

たとえそれができたとしても、

神はそれを奪いもするだろう。


何であれ、

来るものは去っていくのだ。



われわれは、“神の探究”の名のもとに

不幸になる多くの人びとを知っている。



幸福は、

外に求められるものではない。


それは、外から来ることはできないし、

内から来るものでもない。


それは、決して“来る”ものではない。

それはただ“在る”のだから。


それは常に在る。

どこにあるのか。


どこにでもだ。

そこには、ただ幸福があるだけだ・・・



ひとが自分のことを幸福だと思えないのは、

それを忘れているからにすぎない。


目標は自らの本性を悟ることだ。

自らの平安、

自らの幸福、

自らの神性を知ることだ。


そうでなければ

ひとは決して幸せであることはできない。

幸福になったと思っても、

すぐにまた不幸になるだろう。


自分が幸せだという事実を知らなければ、

だれも本当に幸せなることはできない。



それが“神”のありようなのだから・・・





サッチダーナンダ師―「サンカルパ」:青山圭秀


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