【菜食&言葉】:菜食に関するインド聖者の言葉
ラオ先生は、厳格な菜食主義者で、また、インド占星術師はサットヴァな食事を摂り、肉食を断ち、菜食をすべきだと仰っています。
インドの聖者たちも、様々な観点から菜食を勧めています。
ちょっと、インド聖者の言葉を集めてみました。
愛の化身たち!
我々の感覚は全てトリグナ(三属性:サットヴァ[浄性]・ラジャス[激性]・タマス[鈍性])に左右される。
同様に、トリグナは摂取する食物に左右される。
ゆえに、もしサットヴァの食物をとり、
サットヴァの行いをし、
サットヴァの友人と行動することを始めるなら、
あなたがたは必ずや自分をサットウィックな人間に変容させることができる。
あなたがたの悪い性質は全て、悪い仲間と間違った食事のせいである。
良い性質を育てたいなら、サットヴァの食事をし、良い仲間を持ちなさい。
-サティヤ・サイババ
質問者:「肉を料理することは、生命を殺すことではないでしょうか?」
マハルシ:「アヒムサー(非暴力、不殺生)は、ヨーギにとって最も重要な規則である」
質問者:「植物さえも生命を持っています」
マハルシ:「あなたが座っている床の石さえも!」
質問者:「私たちは、次第に菜食主義に慣れていくでしょうか?」
マハルシ:「そうだ。それが正しい方法である」
「食べ物は心に影響を与える。
いかなる類のヨーガの修練にも菜食主義は絶対に欠かせない」
「食べ物の性質が心に影響を与える。
心は、消化された食べ物に養われているのである」
「全ての規則制限の中でも、
適度な量の清らか(サトウィック)な食事を取るという方法が最上のものである。
これを守ることで、心の清らかさは増し、
真我の探究の助けとなるだろう」
すべての人、すべての生き物は愛の具現です。
あらゆる鳥や動物や昆虫は、
人間と同じように幸せを手に入れたいと望んでいます。
それらも人間同様に幸せを味わうのです。
-サティヤ・サイババ
神の信者になろうとしている者は、
肉食、アルコール、喫煙をやめなければならない。
-サティヤ・サイババ
人々の為に飲料水を提供する施設を創設し、
同時に人々が動物を食料として殺しているのを止めさす、
という二つのことが太古の栄光を取り戻す上で基本的に必要なことです。
どんな形にせよ、罪のない動物を殺すということは
暴力であり、悪であり、野蛮な行為なのです。
-サティヤ・サイババ
肉は生命を傷つけることなしに得ることはできない。
そしてもし、人が意識ある存在を害するならば、その人は天の祝福を得ることはできない。
それゆえ、すべての人は肉を避けなければならない。
-マヌ
真の信者になろうと思うならば、肉食を完全に止めなければならない。
人は動物を殺しながら、どうして自らをサイやラーマやクリシュナの信者だと言えよう?
そのような人は悪魔である。
そのような人は、神の恩寵を決して受けることは出来ないであろう。
誰であろうと、その人がインド人だろうが外国人だろうが、サイババの言葉に従わなければなりません。今すぐ肉食を止めなさい。
-サティヤ・サイババ
動物を殺すのは罪です。
しかしあなたは、動物を殺すのは自分ではなく、肉屋だと主張するかもしれません。
それは正しくありません。
というのもあなたが肉を食するからこそ、動物が殺されるのです。
もしあなたたちが皆、肉食を止めたならば、
誰が動物たちを屠殺場へと連れて行くでしょうか?
それゆえ罪を犯している者は、
動物たちを屠殺しているものだけではなく
食している者も含まれるのです。
このように我々は正しい食生活をしていない為に人間的な価値を失い、
獣的な性格を身につけて来ているのです。
-サティヤ・サイババ
肉食のことを取り上げてみよう。
あなたがたが肉食であるために、多くの人が動物たちを殺さなければならない。
これらの動物たちの死は、あなたがたに責任がある。
あなたがたが動物たちを食べるせいで、動物たちは殺されているのだ。
これは罪だ。
罪のない動物たちを殺して食べるとは、何という罪だろう
-サティヤ・サイババ
人に本来備わっている愛の原理は、
鳥や獣を含むすべての生きものにも等しく存在しています。
ですから、人はすべての生きものの生命に
同じ価値を置かなければなりません。
皆さんに内在している愛を、
人類同朋とだけでなく、
自然界におけるすべての生きものと分かち合いなさい。
これが真の普遍なる愛の原理です。
この原理のみが人生の基盤であるべきです。
― サティヤ サイ ババ
今日、自分をサイの帰依者であると思おうと思うまいと、
だれもが肉食をやめるべきです。
なぜでしょう?
肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。
何を食するかによって何を考えるかが決まるのです。
さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。
人間と同じく五大元素でできている動物を食べることは、いかに罪深いことでしょう!
動物を食べることは、人に悪魔的性癖をもたせ、
その上、動物への残虐行為という罪をも犯します。
ですから、真に神の帰依者になろうと努める者は、
非菜食の食べ物をやめなければなりません。
自分たちをサイの帰依者であるとかラーマの帰依者であるとか言いながら、
鳥や肉を食べて肥えている人たちがいます。
それでどうして真の帰依者であると見なされるでしょう?
それでどうして神がそのような人を帰依者として受け入れることができるでしょうか?
ですからインド人であっても無くても、そうした肉食をやめるべきです。
-サティヤ・サイババ
肉や卵などに含まれるタンパク質は単に身体の形成に役立つのみで、
心にはかなりの害をもたらします。
-サティヤ・サイババ
人の考えは食べた食べ物の種類に左右されます。
-サティヤ・サイババ
動物を殺す時、あなたは動物に苦しみと痛みと害を与える。
神は全ての生き物の中に存在している。
どうして、あなたはそのような痛みを与えることができるのだろう?
もし、誰かが犬を叩けば、犬は大きな痛みを感じる。
そうであれば、殺す時にはどれほど大きな痛みを与えることになるだろう?
-『サティヤ サイ ババとの対話』ジョン ヒスロップ著
命のあるものは何であれ、生きようと努力する。
何であれ生きている生き物は、他の生き物の食べ物になるために自分を犠牲にはしない。
動物も、鳥も、魚も、人間と全く同じように生きたいと望んでいる。
我々が捕らえられ、殺される危機に瀕した時と同じように、
動物たちもまた、もがき、叫び、傷つけば痛みを感じる。
ただ一つ違うことは、「動物たちは自分の感じている苦しみを言葉で表現できない」ということだけだ。
-サティヤ・サイババ
どのような形であれ、暴力は悪である。
そして、罪の無い動物を殺すことは見るに耐えない残虐な行為である。
-サティヤ・サイババ
飲食に関する習慣を加減し調整することによって、人は霊的生活の基盤を築くことができる。
ラジャシックな(激性の)食物よりも、サトウィックな(浄性の)食物を選ぶようにしなければならない。
人はアルコール類の飲料を飲むと、自分の感情、情念、衝動、本能、話し言葉、身体の動きをコントロールすることができなくなり、獣のレベルにまで落ちることさえある。
肉を食べれば、暴力的な傾向が育ち、動物が罹る病気になる。
ラジャシックな(激性の)食物を食べている人の心は、強情で扱いにくくなる。
そのような食事を好んで食べていると、心を作り直すのは困難になる。
神を思い続けるには、心身両面において、消化吸収するものに気を付けなければならない。
適量の食物、調節された睡眠、愛、不屈の精神、これらは、心身両面の健康を良好な状態に維持する助けとなる。
-サティヤ・サイババ
実際のところ植物も動物と同じような生を持っています。
しかし動物が持っているような心や神経系統というものは持っていません。
動物は、彼らが殺されるとき泣き叫びます。
植物にはそういうことはありません。
動物を殺すことと、植物を刈り取ることを同様に見るのは間違った考えです。
付け加えて言えば、動物を殺してその肉を食べるとその動物の性質や振る舞いが、人の中に入り込み浸透していくのです。
その結果、動物的な性質つまり、牛や羊のような鈍生の性質を身につけてしまうのです。
それ故肉食は止めなければなりません。
食物が人の心の性質を左右するのです。心は思いを導き、思いは行為の結果を引き出します。
行為は、それに見合った結果や影響を引き出します。
我々の摂る食物と我々の行為の結果との連鎖は、肉食が、獣的な行為と悪い影響を人に与えるということに繋がることを教えています。
-サティヤ・サイババ
すべての生き物に優しくするのは、人間にとってとても大切です。
物事を正しく見極めて、優しさを深め暮らしに活かす道を探らねばなりません。
すべての生き物に優しくすると言うのは、
苦しんでいる人や生き物の面倒を見て、助けようとすることです。
他の生き物の痛みや苦しみを和らげるために、力を尽くして下さい。
優しさという言葉を何度唱えても、それだけでは何にも役立ちません。
優しさを身をもって示し、人生の一部とするのです。
優しい心は神と同じだと信じて下さい。
-サティヤ・サイババ
参考website:
https://blogs.yahoo.co.jp/happyhappysai2010/43586869.html
https://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/2efc9711adc9961abd4d4b5ac45fb4af
など
ISOPさん
こんにちは~。
菜食主義のお話、すべての生き物に優しく、助け合って生きるお話、サイババさまのお話は、とても素敵ですね。
私がある日、突然聞こえてきた話なんですけど、
同じ地球に住んでいる、13歳の女の子が話してくれたのですが、その女の子が住んでいる地域は、すべての人が動物のお肉も魚も食べないそうです。
科学技術は発展していないので、電気、ガスもなく、お金もありません。
でも、魚、動物の狩りをすることはなく、野菜や穀物やハーブなどを自分たちで作り、自給自足で暮らしているそうです。鶏もいますが、卵も食べません。
お洋服も小さい頃から自分で作り、ほとんどが綿素材だそうです。
鍛冶屋さんと大工さんはいるそうです。
生まれた時から、動物のお肉を食べない人生だと、他者を殺すという概念が全くないので、人間を殺そうと思う気持ちなど、決して誰一人芽生えることはないそうです。争いごとも少しはありますし、病気はありますが、川の水もキレイなので、平均寿命は、120歳位。人口も数百万人いるそうです。この世界は、何千年も続いているそうです。
現代の日本は、科学技術が発展して、便利な世の中になっていますが、生き物に対する優しさや、他人に対する思いやり、昔ながらの職人さんの技術など、大切なものが失われつつあるのが、本当に悲しいですね。
私も元々お肉は好きな方ではなく、5年位前から、お肉は生臭く感じてあまり食べれなくなりました。
でも、完全なるビーガンではなく、ゆるベジにしてます。あまりストイックにやると、色々な面で身体に良くない氣がするので。
最近外食は、自然食品のお店ばかり行っているので、もし関東に来ることがありましたら、菜食のレストランをご案内しますので、お知らせくださいね。
真理さん
こんばんはm(_)m
女の子が話してくれた世界は、理想郷のような、素敵な世界ですね!
インドやアマゾン、アフリカの奥地の人なのかな・・・?
アジアなら、ブータンとかも近いかもしれません。
https://www.wbf.co.jp/bhutan/info/hapiness.php
さくらももこさんが最近亡くなりましたが、彼女が挿絵を担当した「アミ小さな宇宙人 (徳間文庫)」という本を思い出しました。
そこに書かれている、アミの住む世界(オフィル星)と似ているかもしれません。
アミ曰く、進んだ世界では、愛が基本法で、肉食をしないそうです。
https://matome.naver.jp/odai/2145827671243246901?&page=1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9F_%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E5%AE%87%E5%AE%99%E4%BA%BA
ちょっと抜粋しますと・・・
ーーーーーー
「ここにはほかの生きものを害するような危険な動物は、いっさいいないんだよ。猛獣とか、サメ、毒ヘビなどといった愛からかけはなれた動物は、それらにふさわしいところにいる……進歩した世界では、どんな動物だって生きるために、ほかの動物を殺して食べたりなんかしないんだ」
「それじゃアミ、きみも肉は食べないんだね?……」
「きみはいったい、どう思っていたんだい!?」
ぼくはなにも攻撃するつもりで言ったんじゃなかった。
アミはすぐ笑って、
「肉なんか食べないよ。考えただけではき気がする。罪のないかわいいニワトリやブタやウシを殺して食べるなんて!なんてざんこくなんだろう」
ーーーーーーーーーーー
アミは、肉食については、他にもかなり批判的な物言いをしています。
https://ameblo.jp/sarjani/entry-11134578522.html
真理さんが聞いた世界や、このアミの世界など、理想郷のような世界が、この宇宙にはあるのかもしれません。
一度でいいから、行ってみたいですね!^^
ISOPさん
ありがとうございます。
「アミ小さな宇宙人」は、知っていたのですが、
なぜか今までちゃんと読んでませんでした。
早速、図書館で3部作、全部借りて来ました(*´ω`*)
おとぎ話のような理想の世界ですが、私は信じています。
ISOPさんは、この本を読んでから、菜食主義になったのでしょうか?
菜食主義は、高校3年の頃に読んだ「動物の解放」という本が遠因となっています。
動物実験や家畜なんかの真実を扱った本です。
衝撃的な内容でした。
中でも印象に残ったのが、ストレスの実験で、前足を毎日ハンマーで砕かれる犬の写真がありました。
どれほど痛かったでしょう・・・
どれほど苦しかったでしょう・・・
この本はまた機会があれば、ブログで紹介したいと思います。
人間が行う生き物たちへの虐待・殺害、苦しみ、悲鳴、隠された真実を知って、私は人間を憎悪しました。
「人間は死ぬべき」「地球のがん細胞」そんな風に思うようになりました。
その頃は、かなり過激な人間でしたね^^
この本を読んで、しばらくは普通に肉食を続けていましたが、常に自己矛盾の感情を抱えていました。
大学に入ってすぐの頃、学食で食事をしていると、ある声が聞こえてきました。
「肉食をしてはならない」「菜食主義になりなさい」
良心の声なのか、神様の声なのか分かりませんが、はっきり聞こえました。
私は最初困惑しましたが、肉食に対する自己矛盾・良心の呵責を抱えていた私は「分かりました」と言って、次の日から動物の肉を断ち、1か月後に魚も断ち、ベジタリアンになりました。
ベジになったのは、宗教的な要請(規則)でも、美容や健康のためでもありません。
ただ、動物たちにこれ以上苦しみを与えたくなかった・・・
また、生き物を苦しめるという良心の呵責・罪悪感に耐えられなかった・・・
それだけの理由です。
私はトルストイの言葉が好きです。
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トルストイ(1828~1910)ロシアの小説家、思想家。
動物からもたらされた食物を
神が許したという風に信じさせられた結果、
人々は動物を食うことを悪いことだと考えない。
が、これは間違っている。
たとえいかなる書物に
動物を殺したり食ったりすることが
罪悪でないとかかれていようとも、
それ等のいかなる書物におけるよりも
遙かにはっきりと、
動物をもわれわれ人間と同じように憐れんで、
これを殺したりしてはならないと言うことが、
人間の心の中に書き記されているのである。
そして我々は自己の内部の良心を殺さない限り、
みなその事を知っている。
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私の心の中にも、はっきりと書かれています。
どんな聖典も書物も必要ありません。
一番大切で、最も明らかで、何よりも愛すべき私の法(ダルマ)です。
私にとっては、牛も豚も鶏も虫も、すべての生き物が愛おしい存在です。
ISOPさん、いつもブログ拝見しております。
これまでも菜食に関してコメントしようか迷っていましたが、分かりづらかったらすみません。
私も10年ほど、完全ではありませんが菜食にした時期があります。きっかけはジョン・ロビンズの「エコロジカルダイエット」という本で、家畜の真実の内容でした。
しかしその間、慢性的なノイローゼだったように感じます。歯もボロボロになったり変にハイになったり顔色も良くなかったりしてましたね。
嫌々肉を口にすると元気になったこともありました。
マクロビオティックの方が、体を壊し健康によくないと訴えているのも拝見したこともあります。
女性の鬱やイライラ・精神的な不安定は、動物性タンパク質と鉄分不足からくるものだという指摘もあり、
積極的に動物性タンパク質をとるよう提言している医者の本もあります。
(植物性タンパク質では、毎日バケツ4杯分のものを食べないと追いつかないそうです)
老人ほど肉を食べた方がいいという話や、長寿ほど肉など動物性タンパク質をよく食べるという事も聞きます。
私は動物が大好きで、人と同じように感情は持っていると思っています。
実際に自分で殺生して食べろと言われたら出来ませんし、
家畜の現状を知るとノイローゼになっている動物たちを食することも出来ないし、現状に泣いてしまいます。
つまらない競争や人間の為に動物の命をなんだと思っているんだとも感じます。(ペット業界もそうですよね)
しかし、動物性タンパク質を必要としている人の現状を目にすると(女性には毎月生理があり貧血が起こり大変です)、
菜食主義はそうあるべき理想であり、素晴らしいけれども それに反して健康面では矛盾しているように感じます。
それに関してISOPさんはどう思われますか?
私は一体何が正しいのか、分からなくなりました。
kittyさん
誠実なご意見、ありがとうございます。
お悩みの件、私も考えさせられました。
昔、蜘蛛の巣に蝶がかかっていたのを発見しました。
蝶を助けようとしましたが、蝶を助けてしまえば、蜘蛛が飢えて死ぬかもしれません。
蝶を助けたいというのは、ただ蝶がキレイで蜘蛛が醜いと思っているだけの差別でしょう。
両方を共に幸せにはできません。
どちらかの幸福はどちらかの不幸です。
私は悲しく思いながら、「自然」に介入することを控え、ただ見ていました。
今回もその気持ちにいています。
私には「生き物を殺して食べなさい」と言うことも、「健康被害があっても、動物を食べるべきではない」とも言うことはできません。
どうするべきか、私にはわかりません。
私には、その人も動物たちも幸せに生きてもらいたいからです。
他にも、
エスキモーは植物など生えない極寒地にいます。魚しか食べるものが無い彼らはどうすればいいのか?
チベットの高地に住む人たちも、家畜に頼らねば生きていけないのかもしれません。
また、蚊は殺していいのか?動物実験がなされる薬は飲むべきではないのか?とか・・・
幸福を両立できない事柄が多くあります。
大きなジレンマです。
私は、これらの良い回答を持ちません。
自分でもどうしていいか、よく分かりません。
きっと、正解はないのではないかと思います。
両立ができないならどうするか・・・
より小さい方の悪を取る、言い換えれば、できる限り双方が苦しまない方法を取るしかしょうがないのかもしれません。
例えば、私に健康被害が出てきたら、どうするか・・・
おそらく、できる限り代替品で対処いたします。
動物タンパク質・カルシウムが不足して来たら、牛乳・チーズ・ヨーグルトなどで(どうしても足りなかったら卵で)補います。
鉄分はホウレンソウなどで補給(足りなかったらサプリ)
ビタミンB12は植物由来(イースト菌?)のサプリがあります。
ビタミンDなどはキクラゲ、キノコ、またサプリもあります。
出来る限り、苦しみを与えないような方法を模索して、自分に合った食事を見つけて行こうとするでしょうね。
個人的な見解ですが・・・
人は犬歯がほとんど無く、するどい爪もなく、動物的には草食動物だと思います。
また、江戸時代以前は、肉食をするのはごく稀か、特別な人たちだけがお肉を食べている様な状況だったでしょう。
それでも普通に生きていたのだから、動物性の物が無くてもいいような気がします。
(まぁ、肉を食わなかったから、江戸時代以前は寿命が短かったと言われれば、もしかしたらそうなのかもしれませんが・・・)
ただ、kittyさんと同じように、菜食にしたところ、健康被害が出るかたは、よく聞きますね。(←まぁ、調子が良くなったという声の方が多いと思いますが)
そういう菜食が合わない方・菜食だけでは調子が悪くなる方も、ある程度の比率でいるのだと思います。
特にヴィーガンは栄養素が不足しがちと言われます。(※ラクトベジ、ラクトオボベジはあまり心配がいらないと言いますが)
ヴェジタリアンは、健康被害が出ないように、摂るものに気を付ける必要があります。
特にビタミンB12、カルシウム、ある種のアミノ酸(タンパク)、ビタミンD、鉄・亜鉛など
上記で書いたように、食物を選んで、補う必要があります。
健康被害が出ている方は、栄養素がどんな植物に含まれているのか頭に入れておくと、安心してヴィーガンやベジタリアンを実践でき、健康被害も抑えられるようになると思います。
http://macrobiotic-daisuki.jp/malnutrition-57469.html
また、足りなくなる栄養の他に、もう一つ気を付けるべきは、摂りすぎると害になる食品ですね。
一つの例として、ベジタリアンになると、タンパク質を補給するために、大豆製品を多く取るようになる方が少なからずいます。
健康を害したという人は、この大豆が原因の可能性があります。
大豆の中にはアンチニュートリエントというミネラル・微量元素の吸収を妨げる物質が入っています。
味噌や納豆は発行しているので問題なし、豆腐も大豆を水につけてから製造されるので、概ね大丈夫でしょう。
豆乳は付けた水ごと処理されるので、この阻害物質の比率が多く、控えた方が良いかもしれません。
https://ameblo.jp/kenkoudoujou-20100119/entry-12348432753.html
(※「豆乳 ベジタリアン 阻害」などでググると、その危険性がたくさん出てきます)
お忙しいのに、長文のご返答をして下さってすみません。。
現役の医者が書いたもので、で肉や魚を積極的に取るよう勧める本を見かけたので。
産後ウツや集中力のなさや引きこもりなど、
臨床から動物性タンパク質を、特に女性は取らないといけないという内容だったので
そういう医者の見解はどう思われるのかな、と疑問に思っただけなので
すみません。
本屋に行った時、気が向いたら読んでみて下さいネ。
返答に困らせてしまったので、返信無用です!
ISOPさん
お返事が遅くなり申し訳ありません。
色々と教えていただき、ありがとうございます。
とても深い内容で勉強になりました。
すべての生き物は尊いもの。
すべての生き物は、何らかの役割があり、
存在していると思います。
私がいつも行っている自然食品のお店で聞いた話なのですが、この世界は微生物が鍵を握っていると言っても過言ではないと聞きました。
自然界は、善玉菌が10%、悪玉菌が10%、日より見菌が80%だそうです。
また、人間も同じで、良い人が10%、悪い人が10%、どちらでもない人が80%で、良いことが流行れば、どちらでもない人達が良い方向に傾き、逆に悪いことが流行れば、どちらでもない人達も悪い方に傾き、流される世の中なんですね。
なので、大切なことは、どんなに自分が尊敬する人が言っていたことでも、自分の心を大切にして、自分で考え、しっかりと選ぶということだと思いますね。
真理さん
コメント、ありがとうございますm(__)m
>また、人間も同じで、良い人が10%、悪い人が10%、どちらでもない人が80%で、良いことが流行れば、どちらでもない人達が良い方向に傾き、逆に悪いことが流行れば、どちらでもない人達も悪い方に傾き、流される世の中なんですね。
ふむふむ、なるほど。そうかもしれませんね。
また、微生物や社会と同じように、人間の心の中も似たようなものかもしれませんね。
昔、こんな話を聞きました。(うろ覚えで書きます)
————————-
師:『人の心には良い獣と悪い獣が住んでいる。
この二匹はいつも互いに対立し、争っている』
弟子:『この二匹のうち、どちらが勝つのですか?』
師:『おまえがエサを与え、育てた方だよ。』
————————-
エサをやる方を間違えないようにしなくてはいけませんね^^;
>なので、大切なことは、どんなに自分が尊敬する人が言っていたことでも、自分の心を大切にして、自分で考え、しっかりと選ぶということだと思いますね。
仰る通りだと思います。
人の心の中には、神様が住んでいると言います。
本当は教典も、聖者の言葉も、どんな啓発本も、予言書も、占い師の言葉も必要ないのでしょう。
澄んだ心で自分の良心という心の声を聴けば、どんな回答・真実も得られるのかもしれませんね。
ご無沙汰しています。
一時期、ヴィーガンまでやっていましたが、今は状況に応じて緩めています。
ベジの人が必ずサトゥィックであるかというとかなり攻撃的だったり、そう言うのも見ているので、どういう意志を持ってやるかも大事だと思いますが、思考や行為も長い時間をかけて変わっていくのかもしれません。
個人的には、ベジで体調を崩すのは栄養不足に加え腸内菌のバランスがベジ仕様になっていないのでは、動物は植物と違いお腹の中に土壌(便)を抱えていて、そのバランスが肉食の頃のままなのではないかと思っています。
不食の人などはお腹だけで完結しているのかもしれませんし、普通の人もお腹を耕す為に発酵食品が大事なのかもしれません。
腸内菌バランスは思考にもかなり影響するようですし。
アーユルヴェーダ的には便も身体を支える役割があるらしいです。
人の歯の構造については、スリ・ユクテスワ師が著書で述べられていて、フルーツを食べる猿に極めて近いので、人はフルータリアンと言っています。
土地のフルーツだけで十分栄養が賄えれば良いかもしれませんが、日本では難しいですね。
ISOPさんも言われているように、その土地に生まれた時点で食べ物が決まってしまう事もあるので、部外者がそこに口出し出来るものでもないと思っています。
スーパーに行けば何でも手に入りますが、自らのエゴのために良質な食材を揃えても、その為にどれ程の犠牲があったのか、そんな事も考えたりします。
ニーチャバンガさん、お久しぶりです。
お返事遅くなりましたm(__)m
昨日、京都センターの周年祭で、ここ数日は激務でしたm(_)m
>ベジの人が必ずサトゥィックであるかというとかなり攻撃的だったり、そう言うのも見ているので、
たしかに、サトウィックじゃない人もいますね。
私がいい例です!^^
ただ、私は今でも口が悪く、攻撃的なところがありますが、菜食する前はもっとひどかったと思います。
たしかにサトウィックじゃない人もいますが、以前のその人と比べると、改善されているように思えます。
菜食の効果は緩やかに来るような気がします。
また、ベジになって、体調を悪くする方は結構いますが、ニーチャバンガさんが仰るように、これまでの食生活からの急激な変化で、体がついていかないのかもしれませんね。
>スーパーに行けば何でも手に入りますが、自らのエゴのために良質な食材を揃えても、その為にどれ程の犠牲があったのか、そんな事も考えたりします。
私も日々、スーパーに行くたびに、以下のような疑問や思いが湧いてきます。
ーーー
スーパーに並んでいる牛たちにも、祝福されるべき誕生があり、生活があり、人生(牛生?)があったはずです。
しかし、人は肉を物体としてしか見ません。
動物は“もの”だろうか?
ハンバーグの材料でしかないのだろうか?
また、コンビニや飲食店では、途方も無い量が食料が捨てられています。
動物たちは、ゴミになるために生まれてきたのでしょうか?
捨てるために、彼らを殺したのでしょうか?
ゴミ箱に捨てるために、あんな苦しみを与えたのでしょうか?
命はゴミか!
人間は他の生命を、そんなふうにしか扱えないのだろうか?
その捨てられた肉や魚のひとつひとつに、生命があって、人生があって、苦痛と悲惨と残酷な死を味わってきた結果だということなど、思いもしない・・・
何が 『 生命は地球より重い 』 だ! 笑わせる!
『 “自分の”生命は地球より重い 』 の間違いだろ!
他の生命など、綿より軽いじゃないか!
ーーー
とまぁ、飲食店やスーパーに行くと、そんな怒りが沸いたりします^^
ISOPさん
暫く出張でご返信遅くなりました。
私もですが、火星木星の絡みが強い人は義憤に駆られやすい事もあるので、気を付けたいです。
特に蟹座の月から見ると木星は6,9支配ですし。
トランジットで木星と火星の絡みが強くなると、大捕り物があったりします。
私も先日、火星が7室水瓶座に入った途端に職場の人と激しい言い争いになりました。
水瓶座には土星もアスペクトするので、移動前から自制しようと気を付けていましたが、結局爆発してしまいました。。。
更に、火星、木星に加え土星が特定の絡みを生むと、聖戦やテロなどに走ってしまうのかもしれません。
殺生や、攻撃性にしても生き物を食べて殺生をするのか、食べている人を攻撃するのか、矛先の違いと感じます。
グリーンピースやシーシェパードの過激な行動も、自身のポリシーによって矛先が動物から人間に移っただけです。
滅ぼす敵は自分の中にありそうですが。。
本当は人それぞれに学びの段階があり、誰も他者を罰することは出来ないのでしょうね。
色々許せない事もありますが、その中で何処に目を向けるかは気を付けたいです。
ミイラ取りがミイラにならないために。。
ニーチャバンガさん
返信ありがとうございます。
ニーチャバンガさんの仰る通りだと思います。
私の怒りも不満も、結局はエゴから来るのでしょう。
怒りというのは、自分の欲求が満たされないことに対する反応なのだと思います。
私の場合は、「自分の正義・自分の正しさに当てはまっていない」事に対する不満、また、それを押し付けたいというエゴなのだと思います。
要は「我がまま」です。
一方で、どうしても譲れない部分は、エゴだろうが、我儘だろうが、自分の正しさに対して戦う・・・それは仕方ないことなのかもしれないとも思います。
グリーンピースやシーシェパードのような人たちは、いわゆる「困った人」なのかもしれません。自分の思想・意思・正しさを暴力をもってしても、押し付け、貫き通す我儘な人なのかもしれません。
しかし、一般の人たちでも、自分の子供が殺されるとなったら、反発し、他のどんな意見をも聞きいれず、どんな人に対しても戦うでしょう。
グリーンピースやシーシェパードのような人たちにとっては、生き物すべてが、自分の子供と同じ存在なのだと思います。
自分が困った人扱いされても、苦しむことになっても、逮捕されても、罰を受けても、地獄に落ちても、他のすべてを犠牲にしても、受け入れられないことなのでしょう。
上記の言葉のように、ババ様も肉食する人を非難をされることがあります。
でもそれは、生き物に対する愛と、それを行うものに対する愛(←罪を犯させたくないという)がそれをさせるのだと思います。
ツイッターのほうでは、結構過激な発言をする人たちがいます。
私がフォローしている人がこんな発言をしています。
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この世で一番
汚くて
馬鹿で
醜くて
必要なくて
有害で
最低最悪なのは
“人間”だと思う
https://twitter.com/loveanimal1025/status/446484520590532609
ーーーーーーーーーーーーーーーー
もしも私が死ねば
動物たちが苦しみから救われるとするのなら
私は喜んで死ねる
こんなに光栄なことはない
そんなことはありえないのだけど
もしあったとするのなら
喜んで死にたい
https://twitter.com/loveanimal1025/status/448409697360412672
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彼女の苦悩も痛いほど分かります。
私も同じ思いでした。
私は、カルマの法則を信じることにより、この苦しい思いを解消しつつあります。
全てが自業自得、この世に真に悲しむべき人は誰もいない・・・
どんなかわいそうと思われる人も、苦痛を味わい死ぬ動物たちも、全ては、自分の行為の結果を受けているだけなのだから。
苦しめるものは苦しむ・・・苦しめる人も、苦しむ動物も、結局同じものなのだと思います。
そう信じることにより、他の苦しみや悲しみにも、仕方ないと思うようになりましたが、
でも完全に割り切れる訳ではありません・・・
やはり、彼女のツイッターにあるような、苦しむ動物たちを見ると、どうしようもなく悲しみと怒りが沸いてきます。
生き物に対する愛も慈悲も、すべて投げ出してしまえばいい・・・そうすれば楽になれます。
やろうと思えば、できないことはありません。
私は霊性修行者の理想とされる「無執着」になれるでしょう。「葛藤」もなくなるでしょう。
でもそれは、無執着であると同時に、無関心にもなってしまう気がします。
「誰が苦しもうが、知ったことではない。全員自業自得。」・・・そう思えるようになれば、苦しみから解放されるでしょう。
でも、それが人間として、理想的な姿かはわかりません。
苦しむ者たちへの同情と愛も失うことは、正しいことなのでしょうか?
きっと、私はまだ愛と執着を混同している気がします。
生き物が幸せに生きて欲しいと思うのは、愛でしょうか、執着でしょうか?
生きとし生けるものが、苦しみなく、喜びに満ちた生を歩んでほしいと思うのは、愛でしょうか?執着でしょうか?
苦しみ、悶える生き物たちの苦しみを取りたいと思うのは、愛でしょうか、執着でしょうか?
その思いが満たされないがゆえに、苦しみの原因となるならば、それは愛でなく執着でしょう・・・
でも、人はそのような思いからも離れ、自由にならなければならないのでしょうか?
私にはまだ分かりません。
以前 ヴェジタリアンについて 書いた事があります。
「ヴェジタリアンの輝き」
https://ameblo.jp/vedic-astrology/entry-11177968489.html
「ヴェジタリアンの輝き2」
https://ameblo.jp/vedic-astrology/entry-11530788262.html
で、結論まではたどり着いてませんが(笑
ただはっきり言える事は、「自分の在り方は自分で決まる」という事です。
自分が見ている世界、望んでいる世界が「アミ小さな宇宙人 」であれば
そして、人類の多数の人が望めば、その世界が現れます。
そうでなければ、違う世界が現れます。現在の状況。
ヴェジタリアンが正しいか正しくないかは望む人によって変わり
肉食が残酷か残酷でないかは、その人の在り方で変わり。
ヴェジタリアンが生命に優しいか優しくないかは、その生命を生きる自分が意味をもたらす事です。
ほぼ100%肉食の、イヌイットのある種族の人達の中には一切他と争わず、命をたっとびます。
この人達にとって、アザラシの肉やサケマスは、ある意味自分たちであると認識しています。
(自他の区別がない、全てが自然であり命であり神であり自分もその一部と考えている)
その人達は、命に感謝し優しい文化をはぐくんでいます。
彼らは、事故死以外(北極圏は危険なので)では病気も少なく90歳ぐらいまで生きます。
ある旅人がその村に訪れたとき、食べ物がなくなったとき、自らの片腕を切り取って
旅人に供したといういいつたえもあります。
まあ、そのような事も自分の目覚めのための何かの参考になるやもしれませんね。
ちなみに私は、遺伝的に高血圧体質なので、肉食はしません!
命を大切にしてる?エゴイスト?(笑
返信遅くなりましたm(_)m
昨日がババ様の降誕祭で、今週はお時間が取れませんでした。
Toshiさん、こんなブログをしていたのですね!
最近は更新していないようですが・・・^^;
在り方というのはすべての元ですね。
在り方が考えになり、
考えが言葉になり
言葉が行為になり
行為により、その「在り方」を元とする世界が現実化するのでしょう。
本来、人はどんな「在り方」をしても自由なはずです・・・それがその人の価値観なのですから。
肉食を非難する私は、言うなれば、他の人の在り方にケチをつけようとしているのですね。
それが良くないと分かっていても、なかなか自由になれません
私が怒りや不満を持つのは、善悪の観念があるからです。
自分の正義に当てはまらない物、または自分の中で「悪」と定義されている物を見ると許せないのでしょう。
二元性を持つ限り、常に怒りや悲しみ、欲求不満を持ち続けることになります。
そこには平安はありません。
あらゆる宗教は、正しく、善良になることが目的のように書かれます。
でも、本当にそうでしょうか・・・それはある段階までの方弁にすぎないのではと疑っています。
正しくあろうとすればするほど、不満が増し、怒りっぽくなるのではないかと思います。
自分に善の観念を入れれば入れるほど、それに当てはまらない物を悪と定義することになり、結果、また悪も増えるからです。
相対的であるものは、それをどこまでも突き詰めても、結局、真実には到達しないのではないかと思います。
禅は善悪などの二元性(善悪)にとらわれることを避けようとします。
また、バガヴァッドギータの最後の18章の66節に「一切のダルマを放棄して、ただ私のみに庇護を求めよ」というのがあります。
「ダルマ(正しさ・善・責務)を放棄せよ」との言葉は普通(?)の宗教人が持つ正しい感覚とは異なっています・・・ずっとこの意味を考えてきました。
人は、最終的には、全ての善悪・二元性を放棄しなければならないような気がします。
何の価値判断も、何の観念も、何の判断も、何の色眼鏡もない、無垢な心で見る「あるがままの世界」は、どのように感じるのでしょう・・・
悟った人・聖者は至福を得ると言います・・・
この世はこんなに悲惨や苦しみが支配しているというのに、どうして至福が得られるのでしょう?
彼らは、この世の悪や悲惨、苦しみをどのように感じるのでしょうか?
悟れば、悪や悲惨や苦しみを変えたいとは思わなくなるのでしょうか?
私にはよく分かりません。
欲望の無いことが至福につながるなら、他を救いたい、世界を変えたいという欲望も無くなるのでしょうか?
それとも、そもそも存在は一つで、「救うべき他」など存在しないことを悟るからでしょうか?
それとも、この世は「空」で、苦しみに見えるものも本当は存在しないから、変えたいと思うこともなくなるのでしょうか?
または、悟った人は神を信頼して、どのような悲惨な状況も「神のご意思だ」として納得するのでしょうか?
一度、この世の真実というものを悟ってみたいです。
関係ないけど報告
〇ライトオンライフの版権取れました。
著者の方快諾。^^
現在翻訳の校正段階。
〇賢者の占星術 もはようだせや!とフローリ博士か激励
友人の友人なんです。(笑
〇パラシャラ下
実は終わっているのですが、用語辞典をつけてるのでそれの編集中。
750単語ほど解説してます。
それにともたって、上と中も用語お修正中。
いつも精力的に働かれて、すごいパワーですね!
ライト・オン・ライフ、頑張ってくださいm(__)m
皆様、首を長くして待っておりますm(__)m
賢者の占星術!?
『Astrology of the Seers』ですか?
https://www.amazon.com/Astrology-Seers-Guide-Vedic-Hindu/dp/0914955896
読んだことはありませんので、楽しみにしています!
パラシャラ(BPHS)下もよろしくお願いします。
これで完結ですね!
他の古典も、お時間があれば、よろしくお願いしますm(__)m
私が始めた7年前に比べると、学べる本も増えて、ブログやHPを持つ人も増え、大きく様変わりしましたね!
昔は、数少ない日本語の本を探しまわったり、電子辞書片手に四苦八苦して洋書を読んだりしてましたが、ここ数年で、格段に学習する環境が整ってきています。
ようやく日本も欧米の人たち並みの情報を手に入れることができます。
Toshiさんや清水先生のおかげだと思います。
ありがとうございますm(__)m
これからも、何卒、日本のインド占星術レベル向上にご貢献くださいませm(_)m」