【言葉】:輪廻と子供の死
また痛ましい虐待事件が起きましたね。
小学四年の栗原心愛さんが亡くなりました。
https://www.fnn.jp/posts/00417310HDK
去年は、目黒の事件がありました。
https://www.fnn.jp/posts/00321330HDK
ずっと苦しかったでしょう。
なぜ、こんな幼い子が苦しまなくてはいけないのか、神はいないのか、それともこれもカルマなのか・・・
こんな事件が起こるたび、やりきれない気持ちになります。
カルマ側から見るとこういったケースはどうなでしょう・・・
以前は、この世の理不尽さに悲しくなりましたが、今はある言葉に少し救われています。
どのような子供が死ぬと生まれ変わらなくてもよいのか?
それは、病気等で亡くなった子供の両親が健康で病気ではないこと。
その子供自身も、なんら先天性の病気も無く健康で生まれたこと。
もしそのような子供が死ぬとその子は生まれ変わってこないのです。
15歳までは貪欲、怒りなどは子供たちの心を毒さないので、
15歳になるまでは健康だった子供が死んだ場合、
その子は生まれ変わってこない。
——–
もしヨギがいくばくかのカルマを持って生まれ変わってきた場合、
その魂が子宮の中にいる間や、子供時代を不憫に過ごすなどして
短期間にカルマを支払ってから死ぬ。
その場合、それが最後の生まれ変わりとなる。
‐サティヤ・サイババ
きっと、彼女らの前世はヨギだったのではないか・・・
この言葉を信じることによって・・・
今は神と一つになって幸せでいるのだと思うことによって・・・
少しだけ、悲しみを希望に変えることができるようになりました。
子供の死についてのサイババの言葉を知らせて戴き有難うございました。これが真理だと信じることで
自身の気持ちが楽になりました。
あまりにも惨い事件に心が萎えてしまいそうな昨今ですから・・・
モンちゃん婆ばさん
こんばんはm(_)m
帯状疱疹は治りましたか?
>あまりにも惨い事件に心が萎えてしまいそうな昨今ですから・・・
昔、リク君という子供が餓死し、白骨化した事件がありました。
https://www.news-postseven.com/archives/20140613_260744.html
今、このニュースを読み返しても、胸が苦しくなります。
こんな小さな子が一人で何日も、どんな寂しかったでしょう。
どんなに空腹でつらかったでしょう。
誰も何もない部屋で一人で、父をどんな思いで待っていたのでしょう。
父が出ていくとき、父に向って「パパ…パパ…」とか細い声で口にしたという情景が頭に焼き付き、それがずっと離れず、私はニュースを聞いてから3、4日ほど断食しました。
生まれて苦しみしか知らない人生に何の意味があるのか、何のために生まれるのか、この世の理不尽さを感じてました。
ババ様の言葉によって、そんな苦しみにも、意味を見出すことができました。
きっとこの子は前世がヨギだったのであり、今は至福に包まれているでしょう。
私はそう信じます。
いつの時代もそうなのかもしれませんが、世の中が良い方向にいっていない気がします。
そうしたシワ寄せが、弱者に向いているのではないかと感じます。
孤立した個人として生きていくことが、難しい時代だなと感じます。
アジアの他の国のように、大家族を復活させた方が生きやすいかもしれません、、、。
茶さん
こんばんはm(_)m
コメント、ありがとうございますm(__)m
>アジアの他の国のように、大家族を復活させた方が生きやすいかもしれません、、、。
人は生まれると、家族という単位がグループ(社会)の始まりで、そこでコミュニケーションや我慢、他の人との付き合い方を学ぶのだと思います。
今の時代は、少子化で一人っ子が多く、溺愛されて育つから、わがままな人になりやすいかもしれませんね。
大勢で暮らすのも、いじめや派閥、権力争いがあり、問題がないというわけでもないですが、そういうものの中から、社会に生きていくための知恵や解決法を学んでいくのかもしれませんね。
>いつの時代もそうなのかもしれませんが、世の中が良い方向にいっていない気がします。
そうしたシワ寄せが、弱者に向いているのではないかと感じます。
>孤立した個人として生きていくことが、難しい時代だなと感じます。
昔は助け合わなければ生きていけない時代でしたが、便利な世の中になると、特に人の助けがいらず、お互いが関わらなくなってくるのでしょう。
そうして個人主義になり、相互の関わりが薄くなっているのでしょうね。
近所付き合いも、どんどん希薄になり、「隣は何をする人ぞ」ということになってきています。
この子らも、もし親族や近所の付き合いがしっかりしていたら、亡くなることはなかったかもしれません。
実際、子育てが苦手な人もいるでしょう。
怒りっぽくて、子供に当たってしまうことを悩んでいる人もあるでしょう。
人はそんな人たちを非難しますが、彼らを責めても、消えてなくなるわけではありません。
彼らも苦しんでいるのかもしれません。
そういう人たちもいるという前提で解決法を見出さなければいけません。
ですので、責めて変えようとするより、そんな時に助けを出すことができる社会づくりの方が大事なのでしょう。
もう少し、人と人が密接にかかわり、お互いに助け合うことのできる社会の方が良いのかもしれませんね。