菜食主義について・・・
前回、『慈経』を紹介したので、少し菜食のお話をしたいと思います。
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菜食は一応、開運法にあたります。
カルマ則では、「自分が与えたものが返って来る」 と言います。
従って、生き物たちに与えた苦しみは、いつか自分に返ってきます。
その意味で、菜食になり、生き物たちに苦痛を与えない生き方を選ぶというのは、広い意味で開運法となります。
あべさんは、よく開運として勧めていましたが、私は開運としては勧めていません・・・ハードルが高く、開運として推奨して「はい、菜食になります」と言える人は皆無だと思っているからです。
でも一方で、個人的には菜食を強く推奨したいとも思っています。
また、私は、それを開運としてではなく、動物たちのことを思って、菜食になって欲しいとも思います。
というわけで、今日は少し、菜食について思うことを述べてみたいと思います。
ただ、私が菜食になった話をすると、不快になる人が多いです。
それは自分が責められているような気になるからだと思います。
私は菜食を強制したりはしません。
一人ひとりが決めればいいことです。
だから、私が言うことも考えの一つとして受け取ってください。
もし不快になられた方がいたらごめんなさい。(そうなったら、それ以上は読み進めないようにしてください。)
私が菜食主義になったのは大学入ってすぐの頃です。
自分の意思でなりました・・・宗教やインドは関係ありません(まだ、インドや宗教に興味を持つ以前になりました)
それまでは、肉や魚ばかり食っていました(^^;
だから、別に味的には嫌いじゃないんですよ。^^;
たまに、「好き嫌いをするな」って、私に怒り出す人いますけど・・・
むしろ、味的には好きなんですね。
菜食主義になった時に、恋人や結婚や友達はあきらめました。
だって、めんどくさいでしょ!こんな人!^^
犠牲にしたものは大きいですが、それでも私はこの自分の選択に満足しています。
だから菜食は、私のコンプレックスであると同時に、誇りでもあります。
菜食になった理由は、環境面、食糧問題、飢えの原因、健康面、倫理面・・・
いろんな理由があったんですが・・・
要は、私は生き物を愛しているからですね(^^
一人がベジタリアンになれば、年間80匹の動物が屠殺されずにすみます。
私は、人にも動物たちにも優しい社会になればいいと心から願っています。
たまに「植物だって生きてるじゃないか!」ってよく言われるんですが、牛や豚の動物と、神経系のない植物とでは苦痛のレベルが違います。
皆様だって、キャベツを切るように猫の首は切れないでしょう!
植物は脳も神経もないので、意識も私たちのそれとは大きく異なります。
牛や豚が飼われる環境は劣悪です。
ほとんど身動きできません。
生後、1週間ぐらいで母親と離されます。
だいたい生後2~3年で殺されます。
殺され方も国や場所のよっていろいろですが、
多くは首を半分ちょん切られて血をぬかれます。
牛ははっきり意識があり、歩いて苦しそうにもだえます。
または、血抜きのため鉄のウインチで片足を釣るされたり、牛が倒れるまで放置されます。
(見たい方はどうぞ↓)
http://saisyoku.com/slaughter.htm
牛と人間との間に、どんなちがいがあるのだというのでしょう?
彼らにも心があり、感情があり、痛みを感じます。
彼らだって、私たちと同じく、苦しみます。
刺されたり、斬られたり、叩かれれば、彼らも私たちと同じく痛いです。
焼かれたり、煮られたり、絞められれば、苦しいです。
自分が殺される立場になったら、あなたは「どうか殺さないで」と泣いて許しを請うでしょう。
どうして自分たちは苦しむのを、または殺されるのをそれほど嫌うのに、他には何の躊躇もなく苦しみを与えれるのでしょうか?
自分や身内でなければへっちゃらでしょうか?
私には、とても正気の沙汰とは思えません。
たぶん皆様も分かっているのでしょう・・・
本当は殺して食べるということが残酷であるということに。
でも、みんな気づかない振りをして生きている・・・
そのことに気づいてしまえば、おいしいものを食べるという快楽が奪われるから。
だから何とか理由を付けて正当化したがります。
自然の摂理とか、弱肉強食とか、別の種だからとかの言葉で、自己を偽り、正当化して生きています。
だから、それぐらいは仕方がないと、自分に言い聞かせています。
でも種が違えば殺したり、虐げていいのでしょうか?・・・だったら、人種差別は正しいのでしょう。
動物は能力が劣るから、殺してもかまわないのでしょうか?・・・だったら、身体障害者は殺してもかまわないでしょう。
弱肉強食、適者生存、力が劣るものは、殺されるのも仕方がないのでしょうか?・・・だったら、戦争も虐殺もいじめも正しいと認めるべきでしょう。
人は、ナチスやポルポトのやったホロコースト(大量虐殺)が悪いと非難します。
でも、そんなものは家畜場にいけば、毎日行われています。
私たちの行為が、ポルポトやナチと何が違うというのでしょう?
そして、肉を食べると言うことは、それに加担している一人だということです。
その昔、白人は黒人を、自分たちより劣った人間として見て、奴隷として使いました。
ある時は、インディアンを野蛮な種として殺しました。
今、動物たちは人間たちより劣った生き物として見られ、虐げられ殺されています。
今の私たちも、やってることは同じじゃないでしょうか?
生まれて数日で母親と引き離され、薄暗い部屋につながれて、楽しみや喜びなど一つも感じることのないまま機械にはさまれ、首を切られて殺されていく・・・
それが、もし自分だったら・・・
もし自分の子だったら・・・・
もし恋人・妻・夫だったら・・・
もし自分の親・兄弟だったら・・・・
もし自分のペットだったら・・・
同じことが、自分や子供、親類、恋人に行われれば、泣き叫び、命乞いをし、溢れんばかりの涙を流して助けを求めるくせに、それほど自分にとって嫌うことを、牛やブタには平気で行うのでしょうか?
そんなことを味あわせてまで得るほど価値のあることなど、あるのでしょうか?
私たちも彼らも、同じ地球に生を受けた仲間です。
彼らも、私たちと同じ、痛みや苦しみを感じる生き物です。
私たちと同じように、一生懸命生きています。
生まれてきたことを祝福されるべき、偉大な仲間たちです!
いったい牛や豚が、殺されるほどの何をしたのでしょう?
相手がか弱い動物たちなら、殺したり苦しめることは平気ですか?
苦しみの上に築かれる幸せとは、いったいどんな幸せなのでしょう?
犠牲の上に成り立つ喜びとは、いったいどんな喜びでしょう?
皆さんは、そんな喜びや幸せがほしいのでしょうか?
“おいしさ”という価値と、彼らの苦しみを天秤に載せた時、本当に“おいしさ”という欲求の方が重いのでしょうか?
生命とは、そんなに軽いのでしょうか?
本当に、“おいしさ”などと言うそんなちっぽけなものが、多くの動物たちの苦痛と死に見合うものでしょうか?
ハンバーグやステーキ・・・肉や魚を使った料理を我慢するだけで、動物たちの想像を絶するような苦しみが救われる。
たった、それだけの我慢だけでです!
肉を食べたら親・兄弟・恋人が死ぬと言われれば、別に肉を食べないことなんて簡単でしょう・・・
肉を食べたら、自分が殺されると言われれば、絶対食べないでしょう・・・
自分の中の、ほんの少しの喜びを放棄するだけで、大きな苦しみを回避できる・・・
それは、おいしいものを食べられること以上の喜びじゃあないのかな?
そんなことを思います。
人間は、他の動物に比べればあらゆる点で幸せです。
数ある中の、たった一つの幸せぐらい、動物たちに分けてあげればいいのではないでしょうか?
同じ地球に生まれた仲間として・・・
『わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしに対してしたのである』
-マタイ25章31
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私はよくベジタリアンになることを分かりやすく開運、といって薦めていますが、
まぁ開運もありますが、要するに言いたいことはISOPさんの思いと全く一緒、激しく同意です。
しかし、完全ベジタリアンはおっしゃる通り非常にハードルが高いです。
でも、1000人に言えば、1人くらいはやってくれるかもしれない。
10人に1人くらいは、完全ベジタリアンにならなくとも、ちょっと気をつけて肉を食べる量を少し減らしてくれるかもしれない。
5人に1人くらいは、むやみやたらに、部屋に入った虫を殺してたのが、捕まえて逃がしてくれるようになってくれるかもしれない。
そんな思いで、殺生はやめましょう、なれなくても出来るところからやっていけばいいですよと依頼人に説くことにします。絶対肉食うなバカヤローコノヤローとはちょっと言えないですよねぇ。。。生活もありますし。
ベジタリアンにならなくても、出来る範囲でやってもらえたらいいなと思ってます。依頼人がちょっとでも殺生を控えてくれたら、依頼人も悪いカルマが減りますし、私自身の良いカルマを得ることにもつながりますからねぇ。
100人がちょっとだけでも殺生を減らしてくれたら、1人が完全ベジタリアンになるより、殺される動物が減る効果大です。そんなわけで、私は鑑定依頼人には必ず殺生を、肉食を可能な範囲で控えるようにすすめることにしています。
あべさん、貴重なご意見、ありがとうございますm(__)m
参考になります。
私が菜食を積極的に勧めていなかった理由として、効果が出るのが遅く、かつ見えにくいというのがあったのかもしれません。
マントラや宝石処方は、もし効果があるなら比較的早く出そうですが、善行とか菜食は、傷ついた星や悪い時期などに対する特定の処方でないため、開運法としては非常に効果が出るのが遅い気がします。
おそらくその効果が出るのは、来世か、もしくは、そのまた次の生ぐらいじゃないかな・・・
ただ、善行とか菜食はその本人にとっても、社会にとっても、最も良い影響を与えるものだし、本質的に見て一番良い開運法なのでしょうね。仏陀だって、それを推奨しています。
健康というものに例えると・・・
宝石やマントラが病気に対する『薬』だとするなら、菜食や善行は普段から行う『健康食や運動』などにあたるのでしょうね。
菜食や善行は、効果は見えにくいけど、副作用もなく、本質的で、長い目で見た時、その人にとって本当にためになる・・・そんな気がします。
これからは、私も開運法として、依頼者に少しづつ推奨してみようかと思います。
また、今回は倫理面ばかりを強調しましたが、肉食にはそれ以外にもさまざまな問題があります。
倫理的な問題以外に、環境問題、森林破壊、地球温暖化、土壌問題、食糧問題、貧困・飢えの問題、健康問題の側面があります。また、これら問題は密接に結びついています。
以下の動画が非常に良くまとまっています(↓)
(ただ1995年作製と非常に古い動画なので、データ値が現在では少し異なったり、新しい知見・新事実があるかもしれません。ちなみにナレーションはポールマッカートニーです)
https://www.youtube.com/watch?v=gmNSkdPgxNc&hl=ja&gl=JP
人々がベジタリアンになることにより、上記のこれらの問題を解決できる可能性があります。
ちょっとデータが古いですが・・・
例えば、日本人が食べる穀物の量は、40年前から比べると、40%減っているんです。
しかし、穀物の輸入は6倍に増えました。
なぜだか分かりますか?
日本人は、40年前の5.5倍の肉を食べているからです。 (←※データが古いので50~60年前だと思います。リンク先が切れて、何年のデータか不明になりました)
牛や豚や鶏は穀物を食べています。牛肉1kgとるのに必要な穀物は11kg!
『10エーカー(約4万500平方メートル)の耕作地に豆を栽培すれば60人、大麦なら24人、とうもろこしなら10人の人間を養うことができるが、同じ面積の土地で牛を飼育すると2人しか養うことができない。』とあります。
日本は世界最大の穀物輸入国です。その穀物の多くは、アメリカや中国から買っているのです。飼料用として!
中国やアマゾンで森がなくなっているのは、先進諸国の食生活を支え、また、発展途上国の食生活の変化のためです。
以前にヤフーで、大豆栽培でアマゾンの森が消えていると報道されていましたが、アマゾンの大豆は、菜食のためではなく、肉食(飼料用)に栽培されているのです。
世界の穀物生産は19億トン・・・100億人を養うことのできる量です。
世界の5分の1に当たる先進諸国の人が、穀物の40%を使っています。
世界で飢餓に苦しむ人は、8億5200万人。
食料は足りないのではありません。
森を焼いてまで、肉を食う方が重要なのでしょうか?
他の人を餓えさせてまで、肉を食う方が重要なのでしょうか?
動物を苦しめてまで、肉を食う方が重要なのでしょうか?
地球を滅ぼしてまで、肉を食う方が重要なのでしょうか?
私は人々にそう問いたいです。
初めましてマメ子と申します。
ISOPさんのお言葉を拝見して、自分の意識がますます変わっていくのを感じています。「キャベツを切るように猫の…」という部分の表現!なんてわかりやすいのでしょう!使わせていただいてよいでしょうか。
私自身も昔はお肉をよく食べる人間でしたが、大学時代、短期留学のホームステイ先にベジタリアンの家を希望したことをきっかけに菜食主義の素晴らしさに目覚め、シフトしています。(ホストマザーが恐ろしく菜食料理上手だったのもあるかも。)
ISOPさんやあべさんのおっしゃる通り、意思をもつ生命のことを考えても菜食は素晴らしいことですし、なんだか菜食をした方が自分の意識が純粋になっていくように感じられます。お肉は消化に負担がかかりますね。
私もあべさんに鑑定を依頼したことがあり、できるだけ菜食になろうとしています。
しかし、パートナーにそのことをなかなか理解してもらえず、ちょっと苦しいです。ISOPさんが「菜食主義になった時に、恋人や結婚や友達はあきらめました。」という心情に納得してしまいました。けれど、そのような思いをcoming outしてくださったおかげで、確実にその純粋な思いは人から人へと伝わっていくように思います。貴重な記事をありがとうございます。
マメ子さん、はじめましてm(__)m
>「キャベツを切るように猫の…」という部分の表現!なんてわかりやすいのでしょう!使わせていただいてよいでしょうか。
どうぞどうぞ、いつでも自由に使ってください^^
>ISOPさんやあべさんのおっしゃる通り、意思をもつ生命のことを考えても菜食は素晴らしいことですし、なんだか菜食をした方が自分の意識が純粋になっていくように感じられます。
私もベジになってから、心が少し穏やかになったように思います。
食事というのは、相手を自分の中に取り込み同化することになります。
身体はもちろんそうですが、精神や心情面についても取り込んだものを反映することになります。
その意味では、普段から過酷な環境で飼育され、殺される恐怖を味わい、苦しみ殺された牛や豚や鳥たち・・・
それらの思い、苦悩も取り込むことになります。
意識・精神面で良いわけがありません。
多くの聖賢、有名人もこのことについて言及しています(↓)
*アインシュタイン
菜食がもたらす情緒面での変化並びに浄化は、
人類に対して
非常に多くの利益をもたらすと考えます。
したがって菜食は人類にとって
非常に幸多き平和なことなのです。
人類は菜食をすべきです。
菜食主義への移行ほど
健康と長寿に有効な方法はない。
*ピタゴラス
肉体が消滅した魂は他の肉体の中に移住、
肉食は動物の意識が身体を通過する。
*プラトン
神は人間の体に栄養を補給するために、
木と植物と種を創造した。
肉食が始まったことによって戦争が起こった。
*レオナルド ダ ヴィンチ
私はかなり若い頃から
動物を食べるようなことは絶対にしなかった。
動物を殺すことは人間を殺すことと同じである。
人間がこのことを認識する日はいつか来るだろう。
自然や芸術を愛するが故に
すべてのものの中に生命を見出し、
動物の肉、魚、卵、チーズ、ミルク、
蜂蜜などの動物性食品を一切食べない。
*トルストイ(1828~1910)ロシアの小説家、思想家。
動物からもたらされた食物を
神が許したという風に信じさせられた結果、
人々は動物を食うことを悪いことだと考えない。
が、これは間違っている。
たとえいかなる書物に
動物を殺したり食ったりすることが
罪悪でないとかかれていようとも、
それ等のいかなる書物におけるよりも
遙かにはっきりと、
動物をもわれわれ人間と同じように憐れんで、
これを殺したりしてはならないと言うことが、
人間の心の中に書き記されているのである。
そして我々は自己の内部の良心を殺さない限り、
みなその事を知っている。
*ベンジャミン・フランクリン 1706 – 1790
100ドル紙幣のベンジャミンフランクリン
私は肉食を忌避してきたので、
時には不便な思いをしてきた。
この特殊な性癖のためによく叱られたのである。
しかし、軽い食事のおかげで、
私は頭脳がより明晰になり、
理解力も早くなって大変な進歩を遂げる事ができた。
*アルベール・シュバイツアー 1875.1.14~1965
アフリカ・ランバネレでの医療活動が認められ「ノーベル平和賞」受賞
動物を食べることは私の信条に合わない。
だから、私は絶対に肉食をしない。
生きとし生けるものすべてに、
慈愛の輪を伸ばすまで、
人は自身の中に平穏を得ることはできない。
*ブッダ(仏教の創始者)
私は人間に哀れみを教え、
あらゆる もの言わぬ生き物の心を解する者となり、
人間だけのものではない。
限りない苦しみを和らげたい。
すべての生きとし生けるものは幸せであれ。
すべてのものは暴力におびえ、
すべての生きものにとって生命は愛しい。
己が身にひき比べて、殺してはならぬ。
殺さしめてはならぬ。
*マハトマ・ガンジー
その国の動物がどのように扱われているかを見れば
その国の偉大さやモラルの高さが判る。
わたしは 肉食は我々人間に適さないと考える。
もし人間が動物よりすぐれているというのならば
人間は、
下等な動物の真似をするという過ちを
犯していることになる。
>私もあべさんに鑑定を依頼したことがあり、できるだけ菜食になろうとしています。
しかし、パートナーにそのことをなかなか理解してもらえず、ちょっと苦しいです。ISOPさんが「菜食主義になった時に、恋人や結婚や友達はあきらめました。」という心情に納得してしまいました。
そうですか・・・
パートナーの方に、普段食べていた肉や魚を制限するのは難しいかもしれませんね。
特に男性はお肉や魚大好きですからね・・・^^
そもそも、一般の人はこういった議論を嫌います。
気付きたくないのです・・・心の声を無視していたいのです。
その問題と向き合えば、自分がおいしいものが食べられなくなるという、大きな犠牲を払わなければいけなくなるからです。
気づいてしまえば、その快楽が、その自由が奪われるからです。
しかし、自由とはどういうことでしょうね?
欲望や快楽を満たすことができるということが自由なのではないと思います。
欲望から自由であること、快楽に負けることなく自分で自分の行為を決定できることが本当の自由なのではないかと思います。
しかし、人にはその人なりの考えがあるのですから、パートナーの方の判断も尊重する必要があります。
強制や押しつけをせずに、自分の考えを相手に伝えていくしかないのかと思います。
それでも納得してくれないなら、それはそれで仕方がありません。
また、普段肉を食べてきた人にとっては、いきなり肉を断つというのも難しいと思います。
そこで役に立つのが、ソイミートなどの大豆を使った肉もどきです。
今はいろんなショップがあります。
パートナーの方にこういうものを使用してあげれば、すんなりヴェジタリアンになれるかもしれません。
●菜食用の食材ショップ
https://www.karuna.co.jp/
http://harmony-garden.ocnk.net/
http://www.kenko.com/product/seibun/sei_751448.html
●楽天
http://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E3%82%BD%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88/?lsid=476762&scid=s_kwa_2014foo_00
●ソイミートのレシピ
http://cookpad.com/search/%E3%82%BD%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88
●お食事
ベジタリアンのおいしい店もありますので、こういったものを活用して、肉を徐々に減らすのがいいかと思います。
http://www.hachidory.com/restaurant/lists/contents_type=15
最近、モスバーガーでも菜食用のバーガーが売られ始めました。
http://gigazine.net/news/20150519-mos-soy-patty-burger/
ご参考までに・・・m(__)m
お邪魔します。
私は、十年くらい前、牛の屠殺現場の写真を見たことがあり、大変ショックを受けました。
その本は、図書館にあり、タイトルは忘れましたが毎日の空からの世界の風景、というテーマの写真集です。
もしも、これが、この写真の牛達が、某チェーン店のハンバーガーにされちゃうと思うと吐きそうです。
でも、未だに養われている身、出されているものはみんな食べています。情けない、、、
けれども、貧乏生活のお陰で、自然と肉食が減ってきたのは事実です。今じゃ、野菜が多いですね、味噌汁も毎晩です。
母は、誰か働いてくれたら昔みたいにどんどん肉食べれたのに、って言っていますが、唯一働いていた父が亡くなる直前までは、贅肉に悩んでいました。今ではほっそりしています。
それでも、鶏肉や魚、大豆ハンバーグとか、まだまだ肉食と切れていない自分が恥ずかしくなりました。
りょうさん、こんにちは。
>私は、十年くらい前、牛の屠殺現場の写真を見たことがあり、大変ショックを受けました。
>その本は、図書館にあり、タイトルは忘れましたが毎日の空からの世界の風景、というテーマの写真集です。
>もしも、これが、この写真の牛達が、某チェーン店のハンバーガーにされちゃうと思うと吐きそうです。
実際に真実を知るということは大切ですね。
真実はここにたくさんあります。
http://saisyoku.com/slaughter.htm
ポールマッカートニーは、
『屠殺場の壁がガラス張りだったら、人々はみな、ベジタリアンになるでしょう。』
と言っています。
屠殺について、詳しく知っている人はあまりいないのでしょう。
きっと皆、自分たちの快楽の裏で苦しんでいるものたちのことを知りたくないのだろうし、できることなら、そういうことを直視したくない・意識しないでいたいと願っています。メディアもあまり、報道しません。
いわゆる、不都合な真実というやつですね。
でも、見ないふりをしても、知らんぷりしても、事実はそこに変わらずに厳然とあります。
私は、卵は食べるラクト・オボ・ベジタリアンだったんですが、6月半ばから卵も一切食べなくなりました。
youtubeで、雄のヒヨコが袋に入れられ、圧死させられるのを見てしまったからです。
https://youtu.be/VOqKDUySJeA
悲しくって、許せませんでした。
このままヴィーガン(←乳製品・卵も取らないベジタリアン)になろうかと思います。
究極は「不食」ですけどね・・・^^
http://spotlight-media.jp/article/160396238985919053
http://www.huffingtonpost.jp/2015/06/18/takaaki-enoki_n_7609298.html
http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E3%81%AF%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%A6%E3%82%82%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E9%B7%B9%E5%A4%AB/dp/4883203050
http://www.amazon.co.jp/%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-%E3%80%8C%E4%B8%8D%E9%A3%9F%E3%80%8D%E3%81%8C%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%81%AB%E3%81%99%E3%82%8B-%E7%A7%8B%E5%B1%B1-%E4%BD%B3%E8%83%A4/dp/4837672140
りょうさんも、もしヴェジタリアンになられるのでしたら、私も嬉しいし、応援致します。
いきなりは難しいと思いますので、上記に記したソイミートなどを利用しながら、徐々に減らしていけばいいかと思います。
ISOP様ご返答どうもありがとうございます。
家庭の環境とはいえ、肉類を食べる回数がかなり減ったということは、あんな無残な殺され方をする動物たちも、少しは減ると良いのですが・・・本当に少しだけですが。勘違いかもしれませんが・・・。実際、一家族の食肉の量が減ったって、今も殺され続けてますからね、動物たちは。
それに、ベジタリアンのほうが、感覚が研ぎ澄まされるというのもありますし。
リンク先、あまりにも酷いですね。前以上に愕然としました!
もしも私が近いうち独立することができたら、絶対ベジタリアンになろう!と決めています。
でも、卵や乳製品までは・・・でしょうか。
まずは、イラストでお金を稼げるようになってからですね・・・。
猫や犬は可愛がるのに一方では牛や豚なんかは食べるために殺すというのはどう考えてもおかしく、その矛盾に耐えられず肉を食べるのはやめにして以来10年近く経ちました。
他の動物性蛋白質はごくたまに食べるので自分がベジタリアンだとは思っていませんが、何か気分的に重いものから解放されてスッキリした感じがします。この清々しさを1度味わったら肉食に戻ろうとは決して思えません。動物達に対する愛もますます強まります。
匿名様
ベジになる前、同じ矛盾は私も持っていました。
牛・ブタと、ペットを分かつものは何でしょう?
おそらく、ただ深く接しているか、いないかの違いではないでしょうか?
人間にとって、犬や猫は仲間ですが、ブタや牛は食べ物という“物”としてしか見ません。
しかし、動物は“もの”でしょうか?
牛や豚はハンバーガーの材料でしかないのでしょうか?
ブタや牛は恐怖や痛みを感じないとでも思っているのでしょうかね?
人間とは、なんという想像力の無さでしょうね。
味覚への欲望が、人の想像力を奪ってしまっているのでしょう。
人はイスラムテロリストの首切り殺害が残酷だと言います。
しかし、そんなもの身近なところで毎日行われています!
そして、切らせているのは、肉の需要となっている我々です。
我々が殺しているのです・・・我々が苦しめているのです。
私たちにイスラムテロリストを非難する権利なんてありませんね。
ISOP様
こんにちは。はじめまして。
私は、虫も殺すことができないベジタリアンです。
イソップさんの記事を読んで「ほっ」とし、とてもうれしくなりました。
動物や生き物を愛する気持ち、
人間は、相手を思いやれる心があるから
人間らしいいただき方、生き方をする。
その気持ちを分かち合える方がいた~~~!!と
「恋人や結婚や友達はあきらめた」と書いてありましたが、
実は私もそうです。
そんな方がいることを知れただけで、本当にうれしいです。
菜食のことを話そうとすると涙が出てきて
なかなか語ることができなく、
イソップさんの記事を参考にさせていただきます。
Yさん、いらっしゃいませ!
はじめましてm(__)m
>私は、虫も殺すことができないベジタリアンです。
私もほとんどの虫は殺せませんね。
道で虫が踏まれそうになっていれば、原っぱに持っていき・・・
コンビニで踏まれそうになっていれば、捕まえて外に逃がし・・・
姉がゴキブリを殺そうとしてるのを「やめろ」と制止したら、変人扱いされました^^;
>その気持ちを分かち合える方がいた~~~!!と
同じ考え・気持ちを持った人に会えて、私もうれしいです!^^
来ていただいて、ありがとう!m(__)m
>「恋人や結婚や友達はあきらめた」と書いてありましたが、
>実は私もそうです。
そうですか・・・苦しい選択をされましたね。
ベジタリアンであることは、ある種の制限・苦しみを伴うでしょう・・・
でも、自分を犠牲にしてもその選択をしたYさんを尊敬いたします。
結婚については、ベジタリアンとノンベジの人が結婚すれば、お互い食事などで生活しにくいし、思想の違いからいつか衝突するでしょうね。
でも、ベジタリアンのコミニティーなどに入ってしまえば、ベジタリアン同士の出会いもあると思いますよ。
私は顔も性格も悪いので結婚は致命的ですが、Yさんはあきらめるこたあないです!頑張ってください!!^^
>菜食のことを話そうとすると涙が出てきて
>なかなか語ることができなく、
ベジの人は理解されにくいですよね。
私はいちいち説明が面倒なので、「肉食うとブツブツが出来るんですよ~!」とか言ってます(^^
ちゅうか、菜食主義者は日本では生きにくいですね。
ちょっと「雨にも負けず」をもじって、即興でベジの悲哀を歌った詩を作ってみました。
——-
『寿司にも負けず』
寿司の誘惑にも負けず
ステーキの欲望にも負けず
野菜と豆腐だけで丈夫な体を持ち
食べたい欲は無くはないけど、無いようなふりをし、
動物虐待のニュースには怒り、
いつも静かにムカムカしている。
一日に、野菜と豆腐と米ばかりを食べ
コンビニ行っても、買えるものは梅や昆布のおにぎりとパンしかなく・・・
変な思想の持ち主と陰で噂され・・・
皆で食べに行くならば、「え~食えないの?めんどくさい奴!」と疎まられ・・・
肉は遠慮しときますと言えば、「好き嫌い言うな!」とののしられ・・・
私、ベジなんですと言えば、「変な宗教やってるんですか?」とバカにされ・・・
道で虫が踏まれそうになっていれば、つかまえて原っぱに持っていき・・・
屠殺と殺処分と動物実験に涙を流し、
飲み会になれば、枝豆だけ食べ・・・
皆に変人と呼ばれ、
褒められもせず、苦にされ、
さういうものに私はなりたいちゅうか、なっている。
——
>イソップさんの記事を参考にさせていただきます。
また今後も、菜食を取り上げた記事を書いてみようと思います。
またいつでもいらしてくださいm(__)m
ISOP様
ベジの悲哀を歌った詩、くくっと笑いながら読ませていただきました。そして、肉食べたらブツブツができるんですよ~・・・なんですね!あははっ、私もそれくらいの気持ちでいようと思いました。
「道で虫が踏まれそうになっていれば、原っぱに持っていき・・・、コンビニで踏まれそうになっていれば、捕まえて外に逃がし・・・」
わっ、尊敬します。ここまでできる方はなかなかいないです。
本当にうれしいです!
ゴキブリの件、妹さんに変人扱いされたんですね ^^
私も、ゴキブリは「おっ、そこにいたんですか!あまり驚かせないようにしててね。」と声をかけそっとしておくか、気になるようならそっとザルで捕まえ外にだしますよ。たぶん一般的な視点からみると変人なのかも ^^
結婚や友達と付き合いをあきらめた件、ご心配、お気遣いをありがとうございます!
そうですね、苦しみもありますが、むしろ付き合いで動物たちを食べる席に行くことより、それを断り菜食であることを選べていることに喜びを感じています。
自分は食べなくても、「肉!肉!魚!さしみ!」なんて言っている席には悲しくていられません。犬や猫、動物が好きと言いながら動物を食べてしまうんですから。おそろしい世界です。(すいません、少し勢いづいて毒舌になってきました・・・)
ありがとうございます!
また菜食の記事たのしみにしております。
初めまして。去年の二月頃だったか、ヴィーガンということばに初めて出会って、それ以来、自分の最終目的をそこへ、と向かっている者です。ですが、恥ずかしながら、本当に、このような場でもの言うのは恐縮なのですが、自分は食べずとも、たまーにお肉を使った料理は作ってしまっています。家族にベジタリアンを強制はできなくて…。
自分がお肉を食べない理由は、家族には、
「地球上の食バランスが少しでも均等に近づいて欲しいから。食べ物のない国では六秒に一人の割合で命を落とす人がいる、そんな中で人間が食べる為の牛や豚に、穀類を大量に与えているのはおかしい。先進国を中心に世の中を回しすぎなんよ‼」
と、言い、友達には、
「長生きしたいから。」とか
「お肉を食べなくなってから、身軽に動けて疲れ知らずで、今までで1番体力上がっているよ。」
と言っています。
家族も友達も失いたくないですし、こころざしがハンパな感じでごめんなさい。けど、どちらも本当の理由ですし。お肉を食べなきゃ力が出ないと洗脳されている人がとても多いようです。身体にもいい事づくめだと伝えたくて、この場にあつかましく参加させていただきました。
m(_ _)m
Rさん、いらっしゃいませm(__)m
投稿、ありがとうございますm(__)m
>去年の二月頃だったか、ヴィーガンということばに初めて出会って、それ以来、自分の最終目的をそこへ、と向かっている者です。
そうですか!ヴィーガンには、強い信念が必要となって来ると思います。
特に日本の環境ではかなり難しいと思いますが、頑張ってください!^^
お恥ずかしながら、私はまだラクトベジタリアンです(^^;
ちなみに、ベジタリアンには以下のような分類があります。
下に行くほど、厳しくなります・・・ご参考までにm(__)m
・デミ・ベジタリアン:魚・卵・乳製品・鶏肉は食べる。豚・牛等の四足動物は食べない。
・フィッシュ・ベジタリアン(ペスコタリアン、フィッシュタリアン):魚・卵・乳製品は食べる。肉は食わない。
・ラクト・オボ・ベジタリアン:卵と乳製品は食べるベジタリアン
・オボ・ベジタリアン:卵は食べるベジタリアン
・ラクト・ベジタリアン:乳製品は食べるベジタリアン
・ヴィーガン(ピュア・ベジタリアン):野菜のみのベジタリアン
・フルータリアン:フルーツ・豆・実の野菜のみ食べる(※植物も殺さないという思想に基づく。リンゴの実を収穫してもリンゴの木は死なないが、ニンジンは死んでしまう)
・リキッダリアン:水や液体食のみ
・ブレサリアン:不食。呼吸のみ
>自分は食べずとも、たまーにお肉を使った料理は作ってしまっています。家族にベジタリアンを強制はできなくて…。
いや~、私も猫を飼ってますが、毎日、キャットフードやら魚の缶詰やら与えていますから、かなり自己矛盾を感じています^^;
私は食べなくても、猫達に魚を与えていたら、全く意味ないんじゃないかと・・・
でも、猫は野菜食わないですからねぇ・・・しかたありません^^:
>家族も友達も失いたくないですし、こころざしがハンパな感じでごめんなさい。
私は説明が面倒なので、「いや~、肉食うとブツブツができるんですよ~!^^」などと言ってます。
>けど、どちらも本当の理由ですし。お肉を食べなきゃ力が出ないと洗脳されている人がとても多いようです。身体にもいい事づくめだと伝えたくて、この場にあつかましく参加させていただきました。
そうですね!^^
健康にもいいし、精神にもいいようです。(肉を断つと、暴力性も薄まるようです)
その他にも以下の点があります。
・体・健康にいい(低コレステロール・低添加物・低薬物汚染)
・地球環境にいい(肉食は森林破壊・地球温暖化・土壌問題・酸性雨の原因)
・倫理的に良い(動物を殺さない・苦しみを与えない)
・人間に優しい(肉食は食糧問題・飢えの問題・貧困の問題の原因)
菜食は良いことだらけですよね!^^
一つの意見としてコメします、気を害したらすみませんです・・・
例えば人類が肉を食べなくなった場合
動物達は鼠算式に増え、動物と人間の間で糧(菜)の取り合いが始まります
結果的に人類は生きていく(繁栄する)上で他の動物達を間引かなくてはいけません
いうまでもなく、人類を含む動物達は地球という小さな一点で犇めき合っています
無限ではないのです、紛れも無く有限の舞台で生命達は生きています
例えば肉食動物がいなければ
増えすぎた草食動物達により草原や木々は食べつくされ
草木を糧とする生物の繁栄はそこでストップしてしまいます
そうなると、例え人類全てが菜食者になろうとも、人は糧を得るために
草食動物達を殺すことになるでしょう
日本でもオオカミが絶滅したことによる鹿の木の食害が取り上げられるほどです
有限の世界では何より、バランスというものが求められます
人が気にかけるまでもなく、世界が崩壊しないように上手くできているのですが
人はそのバランスを意図も簡単に壊してしまいます
例え人が動物を食べなくなったとしても
人という存在がソコにいるだけで、動物達は日々命を落としています
人は道を敷き家を建て、水を汚し空気を汚す
動物は生きる場所を追われ、生きる術を絶たれる
人類が住むために切り出し開発した為にコレまでに奪われた途方も無い数の命
人類が一年間で使う電気を作る度に毎年幾億という命が失われ
人類が一年間で汚す水で毎年幾億という命が失われる
私からしてみれば電気や水を使うことは、肉を喰らうことと同じような気がします
動物達の事を思い不殺生に遵守するのは悪いことではありませんが
もっとマクロな視点で考えれば、人は存在するだけで
他の生(動植物)からしてみれば絶対悪なのだと思います
肉食菜食問わず一ついえることは
メシは心で食え、命を重さを噛みしめ身に刻め
心で食わずして生気を得ず
口で喰らうは気を病むコトなり
身は気から、気は食から、食は心から
心で食べた命は生気となる
口で喰ろうた命は病気となる
「食う」ことは殺生ではない、「喰らう」ことが殺生なのである
食うコトとは、食うた命を身に携え、共に生きるコトなり
成損猫さん
コメントありがとうございますm(__)m
>例えば人類が肉を食べなくなった場合
>動物達は鼠算式に増え、動物と人間の間で糧(菜)の取り合いが始まります
・・・
>そうなると、例え人類全てが菜食者になろうとも、人は糧を得るために
>草食動物達を殺すことになるでしょう
そうはならないと思います。
と言うか、なぜそうなるとお考えでしょうか?
そうなり得るのは、人間が肉食動物として、生態系の一部となり、機能している場合です。
でも実際は違います。
豚や牛は自然で生活しているのではなく、人が食べるために不自然に繁殖させされたものです。
自然界とは何の関係もありません。
また、人が肉食をやめ、家畜を飼うのをやめれば、牛や豚も減ります。
人間が肉食をやめて動物が鼠算式に増えるとはどういった理論でしょう?
このコメント欄のかなり上の方にも書きましたが・・・
ちょっとデータが古いですが、例えば、日本人が食べる穀物の量は、40年前から比べると、40%減っています。
しかし、穀物の輸入は6倍に増えました。
なぜだか分かりますか?
日本人は、40年前の5.5倍の肉を食べているからです。
牛や豚や鶏は穀物を食べています。牛肉1kgとるのに必要な穀物は11kg!
『10エーカー(約4万500平方メートル)の耕作地に豆を栽培すれば60人、大麦なら24人、とうもろこしなら10人の人間を養うことができるが、同じ面積の土地で牛を飼育すると2人しか養うことができない。』とあります。
肉食をやめると、穀物が足りなくなるのではなく、肉食をやめることで、穀物はより余るようになるのです。
そもそも、江戸時代以前は、日本は農耕民族で、肉食はほとんどされていませんでした。
成損猫さんの言うように、糧を得るために草食動物たちを殺し始めましたか?
>結果的に人類は生きていく(繁栄する)上で他の動物達を間引かなくてはいけません
バランスがおかしいなら、間引くべきは人間ではないですか?
もし人間が肉食動物なら、頭でっかちすぎて、明らかに減らすべきでしょう。
寄生獣という漫画の中で、広瀬市長がこんなことを言います。
『殺しに関しては地球上で人間の右に出るものは無い。
しかし君たちが今手にしている道具はもっと別の
さらに重要な目的のために使わねばならん。
生物界のバランスを守るために。
それこそが君たちの本来の仕事…つまり、間引きだよ
もうしばらくしたら人間全体が気づくはずだ。
人間の数をすぐにでも減らさねばならんということに。
殺人よりもゴミの垂れ流しの方がはるかに重罪だということに。
そして、我々という存在の重要さに気づき
保護さえするようになるはずだ。
君らは自らの天敵をもっと大事にしなければならんのだよ。
そして、この天敵こそが美しい大自然のピラミッドにぴったりと収まる。
人間の1つ上にな!
それでやっとバランスが回復する。』
またこの漫画の中で、浦上という殺人者はこう言います。
『人間はもともととも食いするようにできてるんだよ 何千年もそうしてきたんだ!
それをいきなりやめようとするから 50 億にも 60 億にも増えちまう』
過激な言葉ですが考えさせられます。
人が肉食動物なら、明らかにバランスが悪いです。
最上位捕食者は、数が少なくなければいけません。
>日本でもオオカミが絶滅したことによる鹿の木の食害が取り上げられるほどです
これは、自然の肉食動物を多く殺した結果の例ですが、逆にブラックバスなどの捕食者を入れたがために、魚がいなくなった例もあります。
そして、論理がすり替わってますが、私は肉食動物を殺すことなど一度も推奨していません。
>有限の世界では何より、バランスというものが求められます
>人が気にかけるまでもなく、世界が崩壊しないように上手くできているのですが
>人はそのバランスを意図も簡単に壊してしまいます
成損猫さんは今がどれだけバランスを欠いた状態かお分かりでしょうか?
生態系と言うのは、ピラミッドのような構造をしています。
http://www.kakubun.com/kids-eco/image/01_seitaikei/03/seitaikeipyramid.jpg
このピラミッドでは、下が多くないと上を支えきれません。
人間が肉食をするというのは、ピラミッドの一番上になるということです。
人間の数はどうでしょう?他の動物に比べ、非常に多いですよね!
頭でっかちの、非常にバランスの悪いピラミッドになっているのです。
そのため、牛や豚の家畜を大量に飼わざるを得ません。これらの草食動物が食べる穀物や野菜もそれだけ多く必要とされます。
人間が食べる穀物より、牛や豚に食べさせている穀物の方が多いのです。
もし人が菜食になったらどうでしょう?
ピラミッドではかなり下の方・・・植物の1個上の存在となり、かなり数が増えても大丈夫です。
人が菜食となり、家畜を飼うのをやめれば、100億以上の人を養えるのです。
肉食が主流となり、どれだけバランスを欠くようになったか・・・
どれだけ多くの穀物を必要とし、森が焼かれ、多くの動物が殺され、人が飢えたか・・・
肉をあまり食べない江戸時代以前の方が、よほどバランスのとれた時代でした。
成損猫さんの言う、肉食をやめると糧(菜)が足りなくなり、奪い合いが始まるというのは完全なレトリックだと思います。
肉食をしているから、食べ物が足りなくなり、人が飢えているのです。
>人という存在がソコにいるだけで、動物達は日々命を落としています
>人は道を敷き家を建て、水を汚し空気を汚す
>動物は生きる場所を追われ、生きる術を絶たれる
>人類が住むために切り出し開発した為にコレまでに奪われた途方も無い数の命
>人類が一年間で使う電気を作る度に毎年幾億という命が失われ
>人類が一年間で汚す水で毎年幾億という命が失われる
おっしゃるとおりですが、私は生きていて、どうしようもなく奪ってしまう命まで反対しているわけではないです。
歩けば、アリなどを踏んでしまうし、微生物なら生きている限り、常に殺し続けてます。
そういうものについてまで是非を議論するつもりはありません。
『人は存在するだけで、他の生(動植物)からしてみれば絶対悪なのだと思います』と仰っていますが、
それはその通りかもしれませんが、だからといって、開き直って、肉食や他を苦しめることを「是」とするのでしょうか?
生きているだけで、悪なのかもしれませんが、できるなら、その悪影響をできるだけ小さく、出来るだけ苦しめずに、他の生き物たちを尊重して生きていきたいと思わないのでしょうか?
私の提案は単純です。
菜食の推奨は、出来る限り生き物たちに苦しみを与えないで生きていこうという提案です。
出来る限り、多くの生き物が幸せに生きられるようにという提案です。
出来る限り、地球環境を大事にし、飢えを撲滅し、人や動物に優しい生き方をしようという提案です。
それだけです。
肉は食べず、(妥協の上で)魚は食べている者です。
さて、一部のインド人が完全菜食でいられる理由として、「精神のバランスがとれている」、「住環境」、「時間感覚」、「子供の頃からの慣れ(体質的な耐性)」などが大きく影響しているという話を聞いたことがあります。
菜食自体はすばらしいことだと思いますが、気ぜわしい日本では、重要な栄養素の消費が大きくなる可能性があり、十分な注意が必要です(例:一般成人であれば、タンパク質50-60g、質の良い「オイル」摂取など)。ただ、瞑想・他を通して、究極の体を手に入れることができれば、その限りではないかもしれませんが。
なお、菜食の話は別にして、牛・豚などの赤肉類が大腸癌などの病気の問題を引き起こすという事例が多数報告されています(検証データにばらつきがあるにしても)。健康バランスからみても、赤肉類の必要以上の摂取は好ましくないと個人的には考えています。
以前はインド人さん
こんばんはm(__)m
ベジタリアンの人は、以下のような不足しがちの栄養素がありますね。
・ビタミンB12
・亜鉛やカルシウムなどのミネラル類
・オメガ3脂肪酸(EPA・DHA)
・鉄分
https://allabout.co.jp/gm/gc/380555/3/
特にビタミンB12は不足しがちです。ただ、海苔に良く含まれているので、朝に海苔でごはん食ってりゃ大丈夫でしょう。
http://www.eiyoukeisan.com/calorie/nut_list/vitamin_b12.html
あまり言われてませんが、ビタミンDも不足しがちな気がします。こちらはキクラゲ食べましょう。
http://www.eiyoukeisan.com/calorie/nut_list/vitamin_d.html
食べ物についてはインド占星術師としても重要です。
このあたりは、ラオ先生も、口を酸っぱくして言っています。
できる限り、サットワの物を食べるようにと、繰り返し述べています。
食というのは自分と同化します。
それは肉体と同時に、その生き物の感情・想念も自分に取り込みます。
肉食をすることは、殺される悲しみと苦しみを摂取するようなものでしょう。
スワミ・ダヤナンダという聖人は日本に来た時こう仰っていました。
「食べようとした時、逃げるものは、それは食べ物ではない」と・・・・
サイババはこう仰っています。
『今日、自分をサイの帰依者であると思おうと思うまいと、だれもが肉食をやめるべきです。
なぜでしょう?
肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。何を摂取するかによって何を考えるかが決まるとはっきりと述べられています。さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。
人間と同じく五大元素でできている動物を食べることは、いかに罪深いことでしょう!動物を食べることは、人に悪魔的性癖をもたせ、その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。ですから、真に神の帰依者になろうと努める者は、非菜食の食べ物をやめなければなりません。
自分たちをサイの帰依者であるとかラーマの帰依者であるとか言いながら、鳥肉を食べて肥えている人たちがいます。それでどうして真の帰依者であると見なされるでしょう?それでどうして神がそのような人を帰依者として受け入れることができるでしょう?
ですから、インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。』
ISOP様へ
ご丁寧な返信コメあずかり致します
出来る限りでいいのですね
そう考えれば気軽に菜食思考に考えを持っていけますね
自分は肉も野菜も魚も美味しいと感じてしまうので
動植物に対して申し訳ないのですが、すべて摂取しています(少しでも自重します)
動物たちが苦しまないように人工培養肉などの技術が進歩するのを期待しています
未来は自分の細胞を自宅で培養して肉にし
その肉で食事を作る、そんな未来が来ることを願います
成損猫さま
>動物たちが苦しまないように人工培養肉などの技術が進歩するのを期待しています
まだ時間がかかるでしょうね・・・培養などという手間のかかるものが、採算ベースに合うか疑問です。
それを待たなくても、肉の好きな人にけっこう便利な食べ物がありますよ。
上の方のコメントにも書きましたが・・・・
普段肉を食べてきた人にとっては、いきなり肉を断つというのも難しいと思います。
そこで役に立つのが、ソイミートなどの大豆を使った肉もどきです。
今はいろんなショップがあります。
こういうものを使用すれば、すんなりヴェジタリアンになれるかもしれません。
●菜食用の食材ショップ
https://www.karuna.co.jp/
http://harmony-garden.ocnk.net/
http://www.kenko.com/product/seibun/sei_751448.html
●ソイミートのレシピ
http://cookpad.com/search/%E3%82%BD%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88
●お食事
ベジタリアンのおいしい店もありますので、こういったものを活用して、肉を徐々に減らすのがいいかと思います。
http://www.hachidory.com/restaurant/lists/contents_type=15
最近、モスバーガーでも菜食用のバーガーが売られ始めました。
http://gigazine.net/news/20150519-mos-soy-patty-burger/
ご参考までに・・・m(__)m
こんにちは、トランプ選かどこかに長々とコメントさせていただいた、通りすがり改めニーチャバンガです。今年もよろしくお願いいたします。
私もフィッシュ・ベジからヴィーガンをうろうろしています。やはり殺生は苦手です。最近、訳あって自炊をしなくなった事と、外出時の周囲の負担などを考えて、ほぼフィッシュ・ベジに留まっています。
発酵食品なども食べますが、できるだけ殺生しない、生態系のピラミッドに負担をかけないように、というスタンスです。
ベジまでいかなくても、生態系や食べ物の安全性に関心を払う人には、「フード・インク」というドキュメンタリー映画を見るように勧めています。
http://www.cinemacafe.net/official/foodinc/
生態系という面では、フィッシュ・ベジの場合も、魚介類は自然界から直接狩っているものが殆どですし、近年のマグロやウナギ他、漁獲高の激減や密猟問題など、これこそ考えないといけないですね。
ベジ、ノンベジの話は理解されにくく、また推奨はできても強要はできないのですが、思うに、何かを食べるという事は、それ自体命にかかわる事で、捕食する/される事は命のやり取りでもあるので、生存の恐怖から防御反応が強く働くのではと思っています。
2室、8室の絡みを感じます。
人類の歴史的に見れば、農業も大きな環境破壊ですし、今は人間も代謝/排泄物や社会の排泄物を含め自然に還元するものはあまりないので、どうやって折り合いをつけていくか、自然に返していくかも大事ですし、そんな事を、豪華な料理が並ぶ正月のTVを見て考えさせられました。
こういう話に興味のない母が、「辛いものばかり食べていると性格が荒っぽくなるような気がする」と言っていましたが、2室はマラカですし、口から出入りするモノには気を付けたいですね。
ニーチャバンガ様
あけましておめでとうございますm(__)m
今年もよろしくお願いしますm(__)m
>最近、訳あって自炊をしなくなった事と、外出時の周囲の負担などを考えて、ほぼフィッシュ・ベジに留まっています。
ベジタリアンにとって、外食は悩みの種ですね・・・入れるお店が少ないです^^;
私は、朝はお茶づけ、昼と夜は京都大学の学食なのですが、1年前ぐらいから、学食にベジ料理が増えました。ベジカレー、ベジラーメン、ベジから揚げなどですが、結構おいしいです。
おそらく、インドやイスラム教徒の留学生のために増やしたのでしょうが、こういった取り組みが増えていくと、ベジになる人も負担が少なくていいですね。
学食以外の外食はイタリアンが多いです。トマト+モッツァレラチーズのパスタは結構どこにでもあります。なければ、ペペロンチーノですね!^^
>ベジまでいかなくても、生態系や食べ物の安全性に関心を払う人には、「フード・インク」というドキュメンタリー映画を見るように勧めています。
映画の紹介、ありがとうございましたm(__)m
私も一つ紹介します。
「EARTHLINGS」というドキュメンタリー映画です。
人間のために犠牲となる動物の一生にスポットライトをあてたドキュメンタリーで、13個の動画から出来ています。
1は動画の内容の説明になりますので、残虐な映像はあまり出てきません。
1だけリンクを張るので、興味があったら、2~13も見てください。
https://www.youtube.com/watch?v=XoENmrK3FvY
数字を追うごとに、かなりひどいものが出てきます。
私達はこれほどの苦しみを動物たちにあたえているのです。
まさに、地獄です。しかしこれが事実です。
近いうちに、このブログでも取り扱おうと思っています。
>ベジ、ノンベジの話は理解されにくく、また推奨はできても強要はできないのですが、思うに、何かを食べるという事は、それ自体命にかかわる事で、捕食する/される事は命のやり取りでもあるので、生存の恐怖から防御反応が強く働くのではと思っています。
防御反応や攻撃的になる人は多くいますね。
実は、ベジタリアンの掲示板には、突如来て、ベジの人に喧嘩を売って来る人が少なからずいます。
その人たちは、ベジの人を偽善者呼ばわりし、肉食の正当性を訴えます・・・すなわち、弱肉強食だとか、食のバランスだとか、植物だって生き物だとか、植物だけ食べるのは不自然だとか、感謝すれば食べればいいとか・・・
その人たちはベジタリアンの人を嫌っていますが、そう言った人たちは、むしろベジに近いのです・・・動物を苦しめて食べていることに罪悪感をうすうす抱きながらも、肉食をやめれないために、自分の正当性を何とか証明しようと、攻撃的になるのです・・・認めてしまったら、食の快楽が失われるからです・・・そして、認めてしまったら罪の重さに耐えきれないからです。
私には、罪悪感と欲望のはざまでもがいているように見えます・・・もうちょっとでベジになれる人です。
無関心な人の方が、よほどベジに遠いです^^;
>こういう話に興味のない母が、「辛いものばかり食べていると性格が荒っぽくなるような気がする」と言っていましたが、2室はマラカですし、口から出入りするモノには気を付けたいですね。
2室というのは不思議な室ですね。
2室は口や家族や富と同時に、精神性を示したりします・・・食べ物(や家族)が、精神を作るということでしょうかね・・・
人は5つの鞘(コーシャ)からできており、最初の鞘(コーシャ)は食べものとされています。
食べ物が肉体と精神を形成しているのでしょう。
これは衝撃!解脱に肉食は関係ないそうですね。
http://premasai.jugem.jp/?eid=2786
となると嘘吐き偽善者のISOPの力説してるカルマ論の論拠も失いますね。
因みにそのチョビ髭のおっさんもべジだったそうですね。
ユダヤ人は魚以下の存在という事か。
それとクリスチャンでもないのに聖書から句を引用するな。
キリスト教ではベジ規定なんぞないぞよ、偽善者糞ップよ。
イエス・キリストよ、どうかあなたの信者から私をお守りくださいませ~m(__)m
お久しぶりです。以前この菜食の話の中お邪魔させて頂いたRです。振り返り少し驚いたのは、2015年、一昨年だったなんて、もっと最近な気がします(^^)
相変わらずゆるベジやっています。が、お肉だけは引き続き口にしていません。
つい先日偶然なのか必然なのか、出かけた先で
「完全ヴィーガン20年」という方にお会いしました。
その方がヴィーガンになったきっかけは食医の甲田先生の思想からの影響とのことですが、ご本人が病気がちだったわけではなく、完全な菜食を始めた時も、20年経ったという今も、とても健康なご様子でした。ずっと病院勤務のお仕事されていて、人を介助する力までおありでした。すごく嬉しく思いました。
私ももっともっと自分の食事を完全ヴィーガンに近づけるよう改善し、家族に提供する食事も、本人達の嗜好よりも健康重視で考慮していこうと思えたのでありました(^^)
イソップさんにも、色んな出会いや関わりがあるかとも思いますが、今後もがんばって下さいね。
イソップさんの、地球上における食のバランスについての力説、小気味良く拝読させて頂きました(^^)
占いの事はうとい自分ですが、最近は、家畜動物に使用する水と、やっとの思いで口にする水の不衛生さで命を落とす幼い子供の事が気がかりで、水のバランスについての思いが強まり、いかに節水するか、も自分の課題です。
Rさん、お久しぶりです。
もう1年半も前のことなんですね・・・
私も、ついこの間のことのような気がします^^
ヴィーガン20年ですか・・・ヴィーガンでも健康でいられることの証明ですね!
ヴィーガンへの道、頑張ってください^^
ご家族様の理解が得られるとよいですが・・・m(__)m
先日、家を買い、インド雑貨ショップでも開こうかと思っていたのですが、知り合いのインド人がカレー屋開きたいとのことで、そのうちベジカレー屋をやるかもしれません。
もし、オープンしたら、食べに来てくださいm(_)m
ベジカレー屋さんをされたらテイクアウトしにいきますね!牛乳を飲むのも動物虐待の1つになるし、そして子牛を大きくする成分が人間のがん細胞を大きくすると聞き(ほんとかな?)牛乳をやめました。でもお菓子に入っているバターや生クリームは摂取してしまってます。(アカンがな。)
上賀茂神社の手づくり市、楽しかったですよ〜。何か買うと占ってくれる方がいて、めっちゃ当たってました。(1番その店で安価な石を買いました。)
それから焼き菓子を買うと袋の中にインスタに、つながるQRコードが入れてあるというお店も…。Isopさんとこもそんな感じにされると再来のお客さまが増えるかも。モーダカは今日も美味しかったです。ごちそうさまでした。
みちるさん
あれ~!?また来てくれてたんですね!
ありがとうございますm(__)m
でも、どのお客さんだろ?
次は名乗って頂いたら、半額にしますよ!^^
ちなみに私も、いまだにチーズ食べてしまってます(※モーダカにも、わずかにバター入っています)
日本でヴィーガンはなかなか厳しいですね。
ちなみに、ベジカレー屋はボツになりました。
立地が悪すぎ(←西山霊園の横)で、おそらく客は来ません。
それで、モーダカ屋&インド雑貨屋になりました(※店舗はまだオープンしてないけど)
霊園内なんで、
墓場カレー(御飯の盛り付けが墓石風)とか、極楽カレー(極甘口)とか、
地獄カレー(激辛)とか、三途のカレー(彼岸と此岸のご飯を分けるようにカレー)とか、
いろいろ考えたんですがね・・・残念です。
>上賀茂神社の手づくり市、楽しかったですよ〜。何か買うと占ってくれる方がいて、めっちゃ当たってました。(1番その店で安価な石を買いました。)
そんなお店あったんですね!気づきませんでした。
でも、なかなか魅惑的なオマケですなぁ!
私も、モーダカ買ってくれた人にインド占星術してあげようかな・・・・
って、100円じゃあ、採算合わんな(^^;
簡単に、箱の裏におみくじ付きにしようかな。
もしくは、モーダカの皮の底に大吉とか凶とか、焼き鏝で刻印するか・・・
https://www.otaru-cast.com/
>それから焼き菓子を買うと袋の中にインスタに、つながるQRコードが入れてあるというお店も…。
これいいアイデアですね!
私も真似ようかな!^^
いろんな情報、ありがとうございましたm(__)m