メルマガからの転載です。


以前、ある人から、「しゃべり過ぎだ」と注意を受けたことがあります。

耳は2つあって、口は1つだから、2倍聴かなくてはいけないと言われました。

全くその通りですね・・・

 

私の大学の友人に寡黙な奴がいまして・・・
こいつはたいして面白いことをいう奴じゃなかったんですが、彼といるとなんか居心地がいいんですよ。

「なんでかな~?」と思ってたんですが、たいして彼はいつも笑って聞いてくれたんですね。
今思うと、聞き上手だったな~って思います。
こいつと話していると、なんか自分が面白い奴みたいな感覚になるんですね!^^

おそらく皆様の周りにもいるでしょう・・・
別に、たいして話は面白くないのに、一緒にいると楽しい人って!
自分も、そんな聞き上手になれたらなぁ~って思います。
そういう友達はちょっとしたカウンセラーかもしれませんよね!^^

このメルマガを取られている皆様は、おそらく占い師をしている、もしくは目指しているのだと思います。
この占星術の仕事も基本的に人の話を聞き、助言するという、カウンセラーのような一面があります。
何かのお役にたつかもしれませんので、少し、カウンセリングについて話してみたいと思います。

ただ、カウンセラーって、アドバイスや助言、時には推奨や命令するものだと思いがちですが、実際は少し異なります。
看護学校の頃、人間関係論の中で学びましたが、カウンセリングって、基本的に助言をしないんです。
ただ関心と共感を持って、聴いたり、質問したり、言い換えたりするだけ・・・

その根本思想は

『その人、本人の中に全ての解答がある』

『助言をしようとする人の答えは助言する人の答えでしかなく、価値観の異なる相手の答えとはならない』

『本人に解決する力があると信じる』

というところにあるようです。

聴くということがいかに大事か・・・
ちょっと、いろんな人に言葉を集めてみました。

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全国から森のイスキアに心病める人が相談にやってくるが
「訪ねて来る人にどの様に対応されるのですか?」と聞かれて、
初女さんは自分からせんさくして相手にこうしなさいとアドヴァイスをしないという。

『聞くということが大事なの、ただ聞くのではなく、共感しながらね。
本当にその人の心に置き換えて聞かないと、話す人も話せませんからね。
受け入れられるということはどんなに大きい事かわからないですよ。
そういう中で、話して話して話してその人が自分で道を見つけるんですね。』 

― 佐藤初女さんの言葉

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「モモに話を聞いてもらっていると、
馬鹿な人にも急にまともな考えがうかんできます。
モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問した、というわけではないのです。彼女はただじっと座って、注意ぶかく聞いているだけです。
その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。
すると相手には、自分のどこにそんなものがひそんでいたかとお驚くような考えがすうっと浮かび上がってくるのです。」 

― エンデ「モモ」

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「子どもが 『算数の勉強なんかしたくない』と言った時に、
『そんな事言わずにやりなさい』と言っても、
『やらなくてもいいよ』と言っても、
問題の主体は聞き手の方へ来てしまう。

“したい”か“したくない”かは本人の問題で本人が決める事。
とすれば唯一可能な答えは
『そうか、君は算数の勉強がしたくないんだね。」
とその気持ちを持っていることを認める事、
それは確かにうけとったと伝えることである。」

― トマス・ゴードン「非受容の姿勢」

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引用、長くてごめんなさい。
でも、なかなかカウンセリングは奥が深いですね。^^

私なんか、人と会話するときなど、その人の話をききながら、次に話そうとする自分の意見に気をとられています。

この時の自分の思いは、まさしくエゴ(自我)そのものですね。
ところが、ただ聞くことに専念しようとすると、静かなんですが内側から、話されている方の本質の声が聞こえてくるそうです。

その人の本質に触れる最高の方法は、人の話を自分の意見や評価をいれずに、ニュートラルに聞くことみたいですね。
自分がニュートラルになると、パカッとその人の心の門が開くみたいです。

どうやら、私たちは自分が、自分が、というエネルギーを外側に出せば出すほど、自らの心の門を閉ざしてしまうようですね。

 

また引用になりますが・・・
シュタイナーという人がこんなことを言っています。

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「だれかが意見を言う。ほかの人がそれを聞く時、 ふつうは聞く人の心のなかに賛成、反対のどちらかの反応がうごめくものである。
また多くの人たちは、ただちにその賛成や、とくに反対の意見を外に表したい気持ちにかられてしまうものである。
しかし、この道の修行を志す人は、こうした反対や賛成の気分をすべて沈黙させなければならない」

「人間は自分をまったく無にして他者の言葉を聞ける様になる。
自分のこと、自分の意見や感じ方を完全に排除して、自分と正反対の意見がだされる時、 いやおよそひどいことがまかり通る時ですら、没批判的に聞き入る練習をしていくと 、しだいにその人は他者の本質と完全に融け合い、すっかりこれと合体する。
相手の言葉を聞く事によって、相手の魂の中に入りこむ。」

―『いかに超感覚的世界の認識を獲得するか』 ― シュタイナー

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判断せずに聞いてあげること・・・
ニュートラルな位置で聞いてあげること・・・
これが難しいですね。
どうしても判断しちゃいがちです。
私も全然まだまだです。^^;

でも、コミュニケーションやカウンセリングの練習の場って、常にあると思います・・・
友人や、家族、先生、周りの人たちとの会話の中で、少し、傾聴とか、共感とか、受容とか、意識しながらできれば、少しづつうまくなるのではと思います。

 

最後にちょっとだけある言葉を・・・
長くて申し訳ないけど、ちょっと紹介します。

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「話を聞いてください」

 

私の話を聞いてくださいと頼むと 

あなたは助言を始めます

私は そんなことを望んではいないのです

 

私の話を聞いてくださいと頼むと 

あなたはその理由について話し始めます

申し訳ないと思いつつ

私は不愉快になってしまいます

 

私の話を聞いてくださいと頼むと 

あなたはなんとかして私の悩みを解決しなければという気持ちになります

おかしなことに それは私の気持ちに反するのです

 

祈ることに慰めを見いだす人がいるのはそのためでしょうか

神は無言だからです

助言したり調整しようとはしません

神は聞くだけで 悩みの解消は自分にまかせてくれます



だから あなたもどうか

黙って私の話を聞いてください

話したかったら 私が話し終わるまで少しだけ待ってください

そうすれば私は必ず あなたの話に耳を傾けます

 

「作者不明」

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