【運命と自由意志③】:カルマ量保存の法則(仮)
インド占星術は「カルマの法則」がその根底に流れており、運命というのは、過去のカルマから成り立っているとされます。
カルマの法則とは、簡単に言ってしまえば、『与えた物は、良かれ悪かれ、その人に返ってくる』 という法則です。
すなわち、今、私が受けている苦しみは、過去に、誰かに、私が与えた苦しみで・・・
今日、誰かに与えてしまった悲しみは、いつの日か、私が受けるであろう悲しみです。
この思想は、仏教・ヒンドゥ教などのインドの思想だけでなく、今やいたるところにカルマ側があることを主張する人がいます。
例えば、エドガー・ケイシーは、リーディングの中で
「永遠なる法則である根本法則は、蒔いた種はいつか必ず刈り取らねばならないということである」
と、繰り返し主張しました。
与えた力が返ってくるというのは、物理法則的に言えば、「作用・反作用の法則」です。
物理法則の世界では、「作用反作用の法則」は厳密・正確に成り立ちます。(※1)
カルマの法則というのは、「作用・反作用の法則」の精神世界バージョンと言えるかもしれません。
さて、物理法則には、また「質量保存の法則」や「エネルギー保存の法則」、「運動量保存則」というものがあります。
「~の保存の法則」とは、その量が一定であり、消えたり、増えたりすることがないという意味です。
もし仮に、カルマも定量化でき、物理法則と同じぐらい厳密に成り立つなら、それは保存される(量が変わらない)という仮定が成り立ちます。
例えば・・・
誰か(A)の苦しみは、過去世に悪いことをした結果だったということになり、別の誰か(B)がその人(A)を苦しめることによって、その人(A)のカルマを(B)が引き継いだことになります。
そうやって、その人(A)のカルマは消え、次はその誰か(B)に受け継がれる・・・
そうして、また彼(B)を害する人(C)が現れて、その人(C)が彼(B)のカルマを引き継ぐ・・・
そうやって人から人へ引き継がれ、それは常に消えることも増えることもなく、保存され永遠に存在し続けていく。
そう考えれば、「質量保存の法則」、「エネルギー保存の法則」と同様に、「幸・不幸量保存の法則」または「カルマ量保存則」なんてのもあるのかもしれません。
仮にその法則が成り立つと仮定すると、この世界という閉鎖系を考えた場合、その中の良いことも悪いことも常に一定量・・・バランスを保っていることになりますね。
(※1:唯一、電磁気学の世界では、力関係は見かけ上成り立たないように見える系がありますが、電磁波まで入れると成り立つとされます)
関連記事:
- 【運命と自由意志⑤】:カルマの法則の帰結
- 【運命と自由意志⑳】:カルマと神の恩寵
- 【運命と自由意思-24】:カルマの法則と輪廻転生の根拠
- 【運命と自由意志-27】:運命と自由意志について・・・「アガスティアの葉」より
- 【運命と自由意志②】:輪廻転生
私もカルマ保存の法則を考えたことがあります。
しかし、現在はエネルギーは保存するが、カルマは保存しないと考えています。
何故なら、身体が感じる物理的刺激や生理的刺激はエネルギーだが、それを苦しみととらえるか?喜びととらえるかは、それを解釈する当人の問題だからです。
当人の意識のあり方、精神的な境地、解釈の意志によって物理的刺激としてのDETAが別の意味の情報に変化するからです。
例えば、普遍的現象として。女性の出産は生理的には非常に強い。痛みを持ちますが、同時に喜びと解釈することが本能的傾向です。
その結果、身体はエンドルフィンやドーパミンを放出して、痛みそのものを変質させてしまいます。
身体には、特に脳神経系には解釈によって生理状態そのものを変化させる機能・能力を有しているのです。
つまり、カルマの法則は私たちの意識の状態、その志向する方向、アテンションによっていかようにも変化するものだからです。
ただし、実際には私たちが普段に目覚めて意識的に行動することは滅多にありません。脳だけをとっても五感の情報処理の2~3%しか意識化されていないからです。無意識に自動的に生きている部分が強いので、当然ながら生まれた時の星の配置でしめされる人生を自動的に生きてしまうのですね。(笑
となると、ここで私たちの精神・心といわれているものは物理的に何を表しているのか?自由意志とはなにか?意識とは何か?私とは誰か?という問題が生じますが、それはまた機会があれば^^b
ふむふむ・・・なるほど。
面白い指摘ですね。
以下は私の推測にすぎませんが・・・
カルマと言うのは、精神的な借金ではなく、あくまで、実際の現象面での借金ではないかと考えています。
Aというエネルギーを与えたら、Aというエネルギーが返ってくる・・・それをどうとらえるかは、人の自由があるのではないかと考えています。
言い換えれば、カルマの法則は、精神的・心的な苦しみ・喜びが同じ量で返ってくる法則なのではなく、あくまで外面的な現象において、同じ量の事象が返ってくる法則なのではないかと思います。
カルマについて、こんな説明をした人がいました。
100万円借りたら、いつか100万円を返さなければいけません。でもその時、大富豪になっていれば、100万円は精神的にどうということはないです。
でも現象的には100万は100万です・・・それで返済は終わりです。
ですので、私たちが、精神的に成長していれば、返ってくる同じ事象が精神的な苦しみでなくなるということはあるのだと思います。
また、同じ事象といいましたが、状況が寸分違わず全く同じなんてことは考えられないですから、返ってくる事象も、全く同じということはないでしょう。
例えば、ある人を崖から突き落として殺したら、その人は次の世で飛行機事故で死ぬかもしれない。もしかしたら、もっと状況が変わって、車の事故や海での水死などに変わるかもしれない・・・
お金というものが存在しない時代に、誰かに家畜を恵んだら、次の世で、お金が入ってくるかもしれない。
このように、おそらく、きっと多少のずれはあるのでしょう。
エネルギーが、熱エネルギー、運動エネルギー、位置エネルギーなどに、相互に変換できるように、カルマにもまた変換公式があるのではないかと思います。
痛みや喜びを定量化させるのは困難ですので、まさに神のみぞ知るですが・・・^^;
>言い換えれば、カルマの法則は、精神的・心的な苦しみ・喜びが同じ量で返ってくる法則なのではなく、あくまで外面的な現象において、同じ量の事象が返ってくる法則なのではないかと思います。
をカルマの法則と定義するならば、同じ考えです。
すみません カルマの法則が存在しない的な印象を与える内容だったので、自論旨の要約です。
〇机の角を蹴っ飛ばせば、つま先が損なわれて痛い!という物理的なエネルギー保存則的な法則をカルマの法則という場合は、当然存在しますね。エネルギーの操作という観点での機械的な法則ですね。
〇しかし、解釈レベルでの・・・例えば倫理的レベルで 善い行いとか悪い行いで、善い行いだから善い結果が返ってきたという、意味付けでのカルマの法則は、意識の状態によって全く違う解釈が成り立つので、意味レベルでの保存則は成り立たないと考えるわけです。
何故このような事を言うかといいうと、サンスクリットではカルマ=行動 という原義基本なのですが、ある行動にはその行動に応じた機械的な物理的な反応が生じるという解釈です。(良し悪しは無い)しかし、一般的には因果応報的な、善い行いには善い応報がある、悪には悪がもどってくる。的な解釈で説明されます。しかし、この善い悪いというのは、立場や意識によって違う物なのでそのような意味でのカルマの法則はあり得ないんじゃないか?という考えです。
真面目にコメントくださってありがとうございます。m__m
コメント、ありがとうございますm(_)m
基本的に、Toshiさんと同じ考えです。
仰るように、心や精神、意識のレベルだと、カルマは成り立たないのかもしれません。
ドMな人なら、痛みや叩かれるカルマが返ってきても、それが喜びという人もいるかもしれませんね・・・その場合、因果応報が崩れ、悪因善果になるのかな?^^
>しかし、一般的には因果応報的な、善い行いには善い応報がある、悪には悪がもどってくる。的な解釈で説明されます。
吉凶や善悪という言葉が用いられるとき、「世間一般的な概念では」という暗黙の前提の元に語られていることですね。
いわゆる・・・
「苦しみや悲しみ、損失、困難」は悪いこと・凶・不幸で、
「快楽・喜び・収入・安楽」は良いこと・吉・幸福という前提ですね。
しかし、成長を望む人なら、苦しみや困難は、良いことだと思うのでしょう。
土星なども、一般的な人にとっては凶星ですが、成長を望む人にとっては最大吉星なのかもしれません。
心が静まった人・悟った人から見れば、この世は良いことだけなのかもしれません。
おそらく、物体・体は、カルマの影響を基本的には免れないのだと思います。
一方、魂(アートマ)というものは、カルマの影響を受けないとされます。
精神・心・意識はその中間で、カルマ則は成り立つ面が大きいけど、一部破綻しているのでしょうね。
人が精神的な成長とともに、カルマの影響を受けにくくなるというのは、そういうことなのかもしれません。
最終的に、心を無にできた人は、カルマが心に影響することはないのでしょう・・・文字通り心がないのですから^^
長いですが、この物語のカルマはどう思います?私は結構悩ましい所なのですが。
あるところに大金持ちの金満氏が居ました。どのぐらいの金持ちかというと、ほぼ一つの街を支配するぐらいの、大地主にしてその土地の王様自称するほどの人でした。また、この人はある意味街一番の守銭奴でもありました。
ある日彼が、自分の建てた駅から広場にでると、汚れてやせ細った小さな子供からよわよわしい声を掛けられました。
「旦那様 もう何日もご飯を食べていません。どうかご立派な旦那様のお恵みをください」と
この子供は、この町へ出稼ぎに来ていた父母が事故で死亡してしまい、身寄りがなく、引き取りてもなく、街の中で残飯を漁り、あちこちで人々に物を乞い生きてきた子供でした。しかし、初めのうちは、気の毒がって恵をあたえていた住民も、汚れて体も臭くなってきた子供をだんだんと避けるようになり、誰も相手にしなくなっていたのです。
金満氏は思いました。
”こんな薄汚れた子供が、私の街をウロウロするのはかなわんな!なんとかして追い出さねばいかん。それも二度と私の目の前に現れないようにな”
金満氏は言いました。
「どうしたどうした、気の毒な事だね。よしよし私のいう事をよく聞いてその通りにするならば、銀貨2枚恵んでやるぞ!」
子供は喜びました。何故ならもうお腹が空いて死にそうな状態だったからです。しかも銀貨2枚です。
子供「旦那様 ほんとですか。ありがたや 必ず旦那様の言う通りにしますからお恵みください」
金満氏「よしよし 銀貨を二枚わたそう。まず一枚目で飯屋でご飯を食べそして銭湯にはいってきなさい。おわったらもどっておいで、駅の中で待っているから。」と銀貨一枚を渡しました。子供は大急ぎで食事と湯浴みにでかけました。
それを見ていた周りの街の人は「金満氏は哀れ深いお方だ。あんな汚い乞食の子供にお恵みするなんて、この町の長にふさわしい方だ!」と囁きあいます。
子供が少し綺麗になり、お腹も満たされて戻ってくると。
金満氏は言いました。「約束どおり もう一枚の銀貨をあげよう。おまえはこのままではこの町で、生きていくこともできないだろう!?だから、この銀貨で聖人町行きの切符を買いなさい。その街には聖人教の聖人養護団体という場所がある。そこへいくと、お前のような親のいない子供を引き取って、働かせてくれるから、そこで飯を食うとよいぞ。」
「それからもう一つ、大人になって自分で働けるようになるまで、絶対この町にもどらないと約束してくれれば、この銀貨はお前の物だ」
子供は喜びました。だって生きていく道が示されたのです。そして、立派に大人になるよう励まされた気がしたからです。
「優しい旦那様 まことにありがとございます。かならず立派な大人になってきます。成功したら、その暁にはこの恵のお礼を何十倍にもいたします」
と述べた後、銀貨を受け取って、切符を買って聖人町へ旅立っていきました。
金満氏はあらためて考えました。
”よしよし、上手くいった。もしあの子供を街で引き取ったら月に金貨一枚はかかるからな、銀貨2枚で追い出せたのは安上がりだった。しかも、わしの評判もあがったし、街も綺麗になるしな”
さて、この物語で金満氏はどのようなカルマを積んだのでしょう?
戻ってくるものはなんでしょう?
昔、ichiさんとの会話で、下心のある場合のカルマについて、少しコメントしたことがあります。
http://indian-vedic-astrology.com/brog-1/2017/02/26/grounds-of-karma-low-and-the-transmigration/#comment-9577
カルマというものが、全く同じ状況が返ってくるのだとしたら、同じように、利用されながら、または悪意を持ちながら、助けられるだけでしょうね。
その時、その人が「利用しやがって!」と頭に来るか、「助けてくれてありがたい」と思うか・・・それをどう受け取るかは、本人の自由です^^
下心があるから悪いだとか、助けたから良いことだとか、そういうことは人間の解釈・判断です。
人格神を思い浮かべる人は、神が良い悪いを決め、恣意的な裁きや報いをもたらすと考えがちですが、
自然や法則というのは、そういった善悪はないのだと思います。
ですので、物理法則と同じように、同じ状況がそのまま返るだけの気がします。
ただ、全く同じ状況というのは考えにくいため、何らかの似た状況にはなると思いますが・・・
コメントありがとうございます。&付き合っていただいて(笑
>土星なども、一般的な人にとっては凶星ですが、成長を望む人にとっては最大吉星なのかもしれません。
ISOPさんの、冷静な観点は有益で重要だと思います。特にクンダリーを読む場合とアドバイスの時に。
パラシャラもよーく読んでいると、吉凶を機能として捉え、状況によって吉凶が逆転する場合が多々あります。
代表的なのは、ウパチャヤの凶星とか星座単位での吉凶の定義とか
土星は価値判断しないで、機能だけをとらえると、タマス性で減速・低下・縮小・固定・制限・心理的にも内面への視点の逆転や努力や忍耐といった働きがありますが、これは無くてはならない機能ですよね。
仮に宇宙に土星的な法則がなければ、物質も想念も世界も人生も生まれません。
それゆえ、ヴェーダでは、土星をカルマの星ととらえ、土星以遠の星は、ジョーティシュに組み込まないわけですが(笑
ISOPさんのクンダリーは見たことがありませんが、Webの内容から推測するに、有益な土星をお持ちだと思います。
素晴らしい何かを生み出すためには、有益な土星は必須です。
ちなみに、瞑想等も実は土星的な機能が重要だとか・・・繊細な集中力は土星のレンズのような機能分野ですし。
意識・視点・観点・信念・認識といった事柄の理解が大切に感じます。^^:
コメント、ありがとうございますm(_)m
>土星は価値判断しないで、機能だけをとらえると、タマス性で減速・低下・縮小・固定・制限・心理的にも内面への視点の逆転や努力や忍耐といった働きがありますが、これは無くてはならない機能ですよね。
>仮に宇宙に土星的な法則がなければ、物質も想念も世界も人生も生まれません。
すべての惑星は、その必要性があって、神様が生み出されたのでしょうね。
人生にも、すべての要素が必要なのでしょう。
ちょっと前に、掲示板でこんなコメントをしました。
http://indian-vedic-astrology.com/bbs-consultation/c-board.cgi?cmd=one;no=3390;id=#3390
不幸によって、成長したり、何か重要な気づきをもたらしたり、人を謙虚にするなら、それは真の意味では幸福なのかもしれません。
逆に、幸福により、自惚れたり、高慢になったり、欲深くなるなら、それは本当の意味での不幸なのかもしれません。
また、塞翁が馬のように禍福は転じて、相生じます。
https://mizote.info/image/02profile/30kaisetu_jinkan.html
そう考えると、何が良いことで、何が悪いことか分かりません。
また、Toshiさんの仰るように、そもそも、吉凶や善悪、幸不幸が人の価値観により変化するものであるならば、定義付けることは不可能なのかもしれません。
そう考えると、 Toshiさんの仰るように、個々の惑星も、「吉凶」ではなく、単に「機能」ととらえた方がいいのかもしれませんね。
>ISOPさんのクンダリーは見たことがありませんが、Webの内容から推測するに、有益な土星をお持ちだと思います。
私の土星は、三吉星(水木金)の影響を受けています。
また、土星は8L→12Hで、かつ、6Lのアスペクトを受け、12Lとコンジャクションしています。まぁ、ヴィパリタなんですが、良いのか悪いのか・・・
人生はそれなりに苦しいですね!^^
全然良いチャートではないですが、プロフィールに出生時間・場所は書いてありますので、チャートを見たければどうぞ。
http://indian-vedic-astrology.com/profile.html
返事を書いていただくだけで、相当な時間とエネルギーを使わせてしまうので、これで最後にします
ここだけの話
想念とか思考はエネルギーを持っているかもしれません。
思考や想念の元は、知性場(仮定の名前)より生み出された粒子の可能性があります。
同時に波動をもっているわけですね。
しかし、4次元空間内で測定できるエネルギーではないような気がします。すくなくとも時空を超えた5次元以上の場のエネルギー
最新の宇宙論では、宇宙は少なくとも11次元以上ですし、知性場(仮定の名前・実は統一場のような気がします)はたぶん11次元を包含するはずです。
場と言えば、一般相対性理論によると、エネルギーや運動量のない時空においても、座標変換によって重力場が存在します。同時に重力場があれば場のエネルギーポテンシャルが存在します。
同じように、思考が知性場(仮の言葉です)により生み出されているならば、やはりエネルギーのポテンシャルを持つはずです。更に粒子(波動)としての思考をもつならば(ニューロンで発生するイオン交換による電磁波じゃありません。)
となると・・・・意味や解釈上のカルマ則ではなく、思考(動機とかも)エネルギーの波動・波形に応じたエネルギー(カルマ的)の保存法則があるやもしれません。
つまり、悲しいという波形があったとして、悲しみが悲しいという波形でエネルギーが伝わるのです。例えると音楽の短調のような波動です。
ISOPさんのクンダリー
>全然良いチャートではないですが
↑すみません、私が見るに、これは間違っています。
ISOPさんのプライベート情報になるので公衆のコメント欄では詳しく書けませんが、最低でも10368分の1でしか現れない、素晴らしいパターンを持ったクンダリーですよ。
スダルシャンですしね。^^b
コメント、ありがとうございますm(_)m
Toshiさん、理系の方なんですね!(物理屋さん?)・・・驚きました!^^
>思考や想念の元は、知性場(仮定の名前)より生み出された粒子の可能性があります。
同時に波動をもっているわけですね。
>しかし、4次元空間内で測定できるエネルギーではないような気がします。
ふむふむ・・・タキオンのようなものですかね?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AD%E3%82%AA%E3%83%B3
一番身近で、自分を構成するはずの「心」や「精神」と呼ばれるものがなんであるのか・・・それすらも、現代科学ではよく分かっていませんね^^
結局、科学は最終的に認知できるものしか取り扱えません。(※直接認知できないものも装置を使って認知する)
検知できないエネルギーがあっても、何ら不思議ではありません。(むしろ、検知できるのはごく一部と考えた方が自然)
昔、似たようなことを記事にしています(↓)
http://indian-vedic-astrology.com/brog-1/2014/11/16/%E3%80%90%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%A8%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97%E2%91%AE%E3%80%91%EF%BC%9A%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA/
きっと、私たちが認知できるのは、膨大な法則のうち、ごく一部だけなのでしょう。
>つまり、悲しいという波形があったとして、悲しみが悲しいという波形でエネルギーが伝わるのです。例えると音楽の短調のような波動です。
聖者や第六感に優れた人が、相手の心を読んだりするのも、何らかの波動を検出しているのかもしれませんね。
私たち一般人は、そういった感覚器官がないから検知できないですが、相手の心が分かる人は視覚や嗅覚と同様に、「想念覚(?)」という感覚があり、そういった波動を検知できるのかもしれません。
想念の波動というものを、何らかの方法で科学的に検出できるようになったら面白いですね。
未来を予言したり、知りえぬ過去を言い当てたりできる人も、タキオンのような超高速のエネルギーを感知しているのかもしれませんね。
>ISOPさんのプライベート情報になるので公衆のコメント欄では詳しく書けませんが、最低でも10368分の1でしか現れない、素晴らしいパターンを持ったクンダリーですよ。
え~??こんなチャートが良いんですかね?
土星・水星・木星・金星はドシュタナ在住・・・
ラーフ・ケートゥは減衰 ・・・
火星とラグナはガンダーンタ・・・
月はコンバースト・・・
太陽ですら、パーパカルタリ・・・(月も)
火星・水星・金星は土星(かつ8L)の影響を受け、木星は火星のアスペクト・・・
なんか、まともな星がないんですが・・・^^
でもまぁ、自分ではこのチャートが結構気に入っています^^
刺繍のしおりの例えはまさに世界の例え 共鳴します。
ISOPさんと同じタイプのクンダリー
サットヴァの効用
https://ameblo.jp/vedic-astrology/entry-10009510604.html
聖人のクンダリー
https://ameblo.jp/vedic-astrology/entry-10008343096.html
価値体験と直結する人
https://ameblo.jp/vedic-astrology/entry-10008343221.html