【日記】:一休の死と火事&【運命と自由意志‐28】:逆境時の開運法?
コメント欄で少し書きましたが、6月1日の夜に一休が亡くなりました。
乳び胸という病気で、肺に水が溜まって呼吸困難になるので、3~4日おきぐらいに水を抜いてもらわなければいけませんでした。
ある日、帰ったら、一休が口で息をしていたので、胸水抜いてもらいにかかりつけの動物病院に行ったのですが、針を刺して水を抜こうとしたら、急に苦しみ出して、すぐに亡くなりました。
おそらく医療ミスです。
きっと針が変なところに刺さったか、重要な器官を傷つけたのでしょう。(このお医者さん、結構グリグリ動かします)
医者を責める気はありません。お医者さんも、最善を尽くそうと思ってやったことですから・・・
ただ、もうちょっと腕のいい病院に行けば良かった・・・(あまり水を抜くのが上手くなかった)
それが私の後悔です。
亡くなった一休は、まだうちに来て1年半でした・・・
みんなと仲良くて、ケンカもしない、優しくていい子でした。
悲しみも冷めやらぬ6月2日未明(消防への通報AM5:12)に、うちのセカンドハウスが火事になりまして、周り2軒全焼(うちを合わせると3軒)、+3軒ちょい燃えという、大惨事になりました。
火災保険はかけていませんでした。
主屋は全焼ですが、ガレージ改装のモーダカ工場は無事でした。主屋は倉庫代わりに使っていたのですが、いろいろため込んでいた装置・機械類(おそらく500万以上)が全滅しました。
モーダカ出品用のカートや小物類、小さい金庫(売上金入り)も燃えました。
人的被害はありませんでしたが、私の家以外の全焼のうち、一軒は空き家でしたが、もう一軒は人が住んでおり、一大事になるところでした。
こちらのお家は簡易火災保険(←共済)しかかけておらず、解体撤去費用や家財などは保証されません。
法的には火元に賠償責任はないのですが、人道上はそうも言っていられません。
比率は今後相談ですが、賠償していかなくてはいけません。
また、隣のドゥオモという刺繍工場があるのですが、屋根が一部燃えただけで済みました。
ただ、刺繡の機械が水に濡れ、一台が故障。
ここも火災保険をかけていなかったそうで、こちらも損害賠償が大変です。
お金が足りないので、銀行から借りて賠償する予定です。
(一応、記事になりました↓)
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1037663
人生の目的は2つあると思っています。
一つは幸せになること、もう一つは成長することです。(←この2つの究極的なゴールは同じ)
そう考えれば、人生に無駄なこと、意味のないことはありません。
苦しい時期も必要なものです。それを避けていたら、人は成長しなくなってしまうでしょう。
最近、逆境時に一番いい開運法だと思うのは、
「自分は大いなる存在に導かれている」という信念ではないかと思っています。
言い換えれば、起きてくる出来事に深い意味を読み解き、自分の力にしていく力・・・人生の解釈力と言ってもいいでしょう。
すべての出来事には意味があり、大いなる何かが自分を成長させようとしてくれている・・・
その信念を得たとき、不遇も不幸も逆境も、すべて感謝して受け入れられるのではないかと思います。
昔の人に、「願わくば、七難八苦を与え給え」と言った人がいましたが、それぐらいの勇気・覚悟・信念が必要なのではないかと思います。
苦しみが来たら、
「ああ、自分を成長させ導いてくれてるんだな」と、
そう思って生きれば、幸せなこと、苦しいこと、すべてのことが有難いと感じることができるようになります。
そして、人生の逆境に負けない強さと成長を得ることができます。
人生で起こることは、大きな意味ではすべて最善です。
それは必ずしも幸せなことではないかもしれません。
それはカルマの解消であったり、その人の成長のためであったり、苦しいこともあるでしょう。
ただ、それは長期的に見れば、その人に必要であり、その人にとって最善なのだと思います。
今回も、神様が私を導いてくれていることを疑ったことはありません。
私はこう祈っています。
「何が来ようとかまいません。
すべてをお捧げしていますので、
あなたの望むところへ私をお導きください」
また、先日紹介した私の好きなタゴールの詩から、私は次のように祈ります。
きっと、この日のために、神様がこの祈りを教えてくれたのでしょう。
暗い悲しい夜、失意以外なんにもない夜にも
けっしてあなたを疑いませんように
・・・
失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに
気づけますように。
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愛猫のご逝去、火災の件、心よりお見舞い申し上げます。
いつもブログを読ませていただいておりますが、今回は大変驚きました。
今後ともISOP様にサイババ様の益々のお力添えがありますよう、祈っています。
サイラム
サイラム
励ましのお言葉、ありがとうございます。
サイ信者の方でしたか!
ブログ拝見しました!
ChatGPTでそんなことが聞けるとは!すげ~!
私もいろんなこと聞いてみよ!^^
アガスティア・アルーダ・チャクラもやってみました。
予想に反し、むっちゃ良いのが出ました!!
元気が出ました!
ありがとうございましたm(__)m
元気が出たとお聞きして嬉しいです!
聖者アガスティアの恩寵もありましたね☆
今後ともよろしくお願いします。
うそやろ・・・。
原因は何だったのですか?
すごい人生を歩んでますね・・。
僕も、4月から再就職先がやっとこさ決まったのですが、7月いっぱいで退職することになり再スタートです。
お互い、いろいろ大変ですね。でも、僕は実家暮らしですので、ISOPさんの方が100倍大変そうです。
人道的にお金をしっかり返済しようとするところが凄いというか、何というか・・。
人ってこういう時、何とお声掛けすればいいのでしょうかね。
僕も、結構悲惨?な状況?を経験しましたが、教会(大山ねず神示教会)に行っても、笑顔で挨拶をかわしてくれるだけで、人は誰も助けてはくれません。神も助けてはくれません。
でも、結局、神(目覚めているほんとの自分?)と自分との関係しかないんだなあ、と思ったりします。
基本、人生は悪夢・・。
でも、今の自分の状況も赦し、下座業をするつもりで、前へ進まなくては、と思っています。
茶さん
こんばんはm(__)m
>すごい人生を歩んでますね・・。
火事というのは、普通の人はあまり経験できませんよね!^^
貴重な体験をさせて頂きましたm(__)m
でもまぁ、人的被害がなかったので、お金で解決できます。大したことはないです。
銀行からもお金借りたので、なんとかなりそうです^^
「塞翁が馬」に「禍福の転じて相生ずるや、其の変見難きなり」という言葉がありますが、
何が災いで、何が幸福なのかは、長いスパンで見なければ、その真価は分かりません。
今回の災害も、災い転じて福となるかもしれません。
>笑顔で挨拶をかわしてくれるだけで、人は誰も助けてはくれません。神も助けてはくれません。
おっしゃる通りですね(^^;
ただ、茶さんがおっしゃるように、人は誰も助けてはくれないし、神も助けてはくれませんが、もしいつも誰かが助けてくれていたら、人に依存するようになるかもしれないし、すぐに誰かの助けを期待してしまうような人間になってしまうかもしれません。
もし誰も助けてくれないという認識で生きていれば、独立自尊し、自分自身で立ち向かう勇気と自信が培われるかもしれません。
そう思えば、助けがないことも、それほど悪いことではありません(←つらいかもしれないけど)
タゴールのように、「神様!あなたの助けなんていらないから、自身を強くしてくれ」と言える人は、本当に強い人なのだと思います。
>基本、人生は悪夢・・。
>でも、今の自分の状況も赦し、下座業をするつもりで、前へ進まなくては、と思っています。
「人生は苦しみと苦しみの間に、ほんのちょっとの幸せが来るだけ・・・」と誰かが言っていましたが、そうなのかもしれませんね。
でも、その人生は悪夢という認識で生きれば、この世は少しは幸せと思えるのかもしれません。
結局、幸も不幸も相対的なものですから、どこまで自分の基準を下げられるかが鍵になるのかもしれません。
家康は「不自由を常と思えば不足なし」と言いましたが、不自由があたり前と思えば、不満を覚えることもないのでしょう。
昔、人間関係で文句や不満ばかり言う人に、
「基準を下げろ!自分を背中からナイフで刺さない人はみんな良い人と思え!」
とアドバイスした人がいましたが、なるほどと思いました。
もしそう思えるなら、この世はみんないい人かもしれませんね^^
ちなみに、上記の家康の引用は、私の大変好きな言葉なので、全文掲載しておきます。
——————
人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し。
急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
心に望み起こらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基。
怒りは敵と思へ。
勝事ばかり知りて、負くる事を知らざれば、害その身に至る。
己を責めて人を責むるな。
及ばざるは過ぎたるより勝れり
ISOPさん
ありがとうございます。
神を信仰?していても災難?に見舞われる・・・。人生が好転しない(ように見える)・・、というのは、事の大小はあれ、信仰者?が必ず経験することだと思います。
そうなってくると、起こる出来事に対して、どのように判断し意味付けしていくかしか“余白”が残っていないのかもしれません。いや、ある人は火災などの惨事?が起こった時に悲観的に捉え、ある人は肯定的に捉えるのを見ていると、どう解釈するかさえも傾向性は決まっているのでしょう。とはいえ、自分の意志を通して、前向きに捉える姿勢は身につけたいものです。
であるならば、「救ってください、助けてください、導いてください」と救済を求めるのではなく、「どのような物事が起きても動じない心をください」、「自分の言動で打開してく強い心と行動力をください」等と祈った方が賢明なのだと思いました。結果として、そのような心を神からもらえなくとも、自分の意志やものの見方が、そのような自分を自らが作っていくような気がします。
救いを求めても、自分の思い通りにはいきませんし、一見かえって悪くなったように見えることもあり、なんであの時助けてくれなかったんだ、全然良くならない、意味ないよね・・、と自分の場合はなりますからね(笑)。 “世”にもまれ、現実的な人からは、まだ神に導かれている等と言っているのか、と滑稽に思われ、いい加減目を醒ませ!言われてしまうかもしれません。
>救いを求めても、自分の思い通りにはいきませんし、一見かえって悪くなったように見えることもあり、なんであの時助けてくれなかったんだ、全然良くならない、意味ないよね・・、と自分の場合はなりますからね(笑)。
それは「なぜ神様に祈るか?」という問題にもつながりますね。
神様は単に、自分を幸せにするための道具でしかないのでしょうか?
もし幸せだけを望むなら、幸せになれなかった場合、神様を恨むことになるでしょう。仰るように、その目的に対して、意味のないことでしょう。
でも、もし幸せ以外に自分の成長を望むようになった時はどうでしょう?
きっと苦しみに感謝できるようになるでしょう。
神様も、苦しみも、決して役に立たなくはありません。
その時、起きてくるすべてのことに意味を見出すでしょう。
>救いを求めても、自分の思い通りにはいきませんし、一見かえって悪くなったように見えることもあり、なんであの時助けてくれなかったんだ、全然良くならない、意味ないよね・・、と自分の場合はなりますからね(笑)。
「神は見ています」という私の好きな小話があります。↓(4分40秒までで、そのあとは歌です)
https://www.sathyasai.or.jp/bhakti/_src/sc430/Kamiwamiteimasu20.mp3
この人も同じように、最初は「なんでこんな困難ばかりなのか?」と神様に文句を言います。
でも神様の計らいに気づいたときには、感謝することになります。
自我からみれば、夢で白いお爺さんが出てきて、ここで馬券をこういう並びで買えといってくれて、サクッと数億円当ててくれればいいいわけで・・(あとの人生は奉仕に生きるから!と思いますが、そういう人は、大金が入ってもそのように生きれないのかもしれません)、自我の言う通りに物事が動いて何でも叶ってしまえば、それはそれで恐ろしい世界で、そもそも人生というのが成り立たないというのは理解できます。
となると、あれをください、これをください、こうして欲しい、ああして欲しい・・と、不足や不満から祈っても、無意味なのだと思います。
「どのような物事が起きても動じない心をください」、「自分の言動で打開してく強い心と行動力をください」等という祈り方も、不足?や不満?からの祈りなのかもしれませんが、祈り方としてはまだマシ?な気がします。
物事をどう解釈し、神に何を求めるかは実に奥が深いですw
何も求めないのが最強なのかもしれませんが、そうなってくると、信仰も神もいりませんよね・・・、となりませんか?実際、いらんのですかね(笑。
>自我の言う通りに物事が動いて何でも叶ってしまえば、それはそれで恐ろしい世界で、そもそも人生というのが成り立たないというのは理解できます。
>となると、あれをください、これをください、こうして欲しい、ああして欲しい・・と、不足や不満から祈っても、無意味なのだと思います。
そうですね。
きっと、自分が欲しがるものと、(神様の目から見て)本当に必要なものは異なるのでしょう。
だから、欲しいもの・望んだものが手に入らなくても、それは自分に必要なことだったのかもしれません。
私たちは、目の前に起きたことに対して・・・
すぐに「良いか・悪いか」と考えてしまいますよね。
でもすべてが必要なものであるなら、そこには良い悪いはなく、感謝だけがあります。
いつか、私たちがすべてを悟る時には、これまで起こったすべての出来事に感謝するのでしょう。
今までの・・・
すべての体験が必要でした。
すべての失敗が必要でした。
すべての成功が必要でした。
すべての挫折が必要でした。
すべての喜びが必要でした。
すべての悲しみが必要でした。
すべての楽しさが必要でした。
すべての苦しみが必要でした。
すべての病気が必要でした。
すべての事故や災害が必要でした。
すべての人が必要でした。
今ここに存在して光り輝くために・・・
今までのすべてが自分に必要でした。
いつかきっと、そう思える日が来るのだと思います。
>何も求めないのが最強なのかもしれませんが、そうなってくると、信仰も神もいりませんよね・・・、となりませんか?実際、いらんのですかね(笑。
何も求めないのなら、欲望から離れていることになり、すなわち解脱しているということになります。そうなると、もう神人であり、仰るように、もう神も信仰も必要ないでしょう^^
と、こう言ってしまうと、元も子もないので、ちょっとだけ書きますと・・・
何か特定の結果を求めるということは、全託とは真逆になります。
結果をすべて神様にお任せした時、全託ということになります。
すべてを託した時、「神様の御心のままに」「神様の思われます最善でありますように」そういう祈りしかできなくなります。
ですから、自己の願望である特定の結果を求めなくなった時、神や信仰が必要なくなるのではなく、神と信仰だけが残ることになります。
とはいえ、世の中の宗教という宗教がなくなっても、神と神の子の関係は、真理として、事実関係として存在するとは思います。肉体とは別の親子関係といいますか・・・。
となると、親は子に何を望んでいるのでしょう?何も望んでいない、ただ、幸せにいて欲しいでしょう・・。てことは、幸せに生きることが子としての役目です。
そうはいっても、現実問題として、肉体面、健康面、仕事面、経済的なこと、人間関係、と、いろいろメンドクサイことが、この3次元バーチャルリアリティー地球wでは、多かれ少なかれ誰にでもある。
そこが問題です。実に奥が深いw
>となると、親は子に何を望んでいるのでしょう?何も望んでいない、ただ、幸せにいて欲しいでしょう・・。てことは、幸せに生きることが子としての役目です。
親が子に望むのは、「幸せ」もそうですが、「成長」も望むのだと思います。
獅子が子を成長させるため、千尋の谷に突き落とすように、神様も子に試練を与える時があるのかもしれません。
古典的に言うならば・・・
神様は一なるもので、完全であり、相対性がない絶対的な存在です。
しかし、一なるもの(一元)で相対がないということは、何も経験することができなかった・・・
それで神様は自分を経験するために、自分を分離し、自分を忘れ、ありとあらゆる相対性・二元性になったそうです。
こうして、あらゆる苦しみと喜び、幸と不幸、悲しみと楽しみ、生と死、善と悪、光と闇、誕生と破壊、天地、寒暑、明暗・・・などの二元性が生まれた。
ですので、私たちはすべてを経験するために、この世に生まれたということができます。
苦しみがなければ喜びもありません。寒さがなければ暖かさは分かりません。
だから、神様はいろんなことを経験するために私たちに試練や幸福を与えるのでしょう。
>そうはいっても、現実問題として、肉体面、健康面、仕事面、経済的なこと、人間関係、と、いろいろメンドクサイことが、この3次元バーチャルリアリティー地球wでは、多かれ少なかれ誰にでもある。
このいろいろメンドクサイことが、神様からの贈り物なのでしょう^^
私たちがいろいろ経験し、理解を深め、成長し、それを多くの人と分かち合っていけるように・・・
もしあなたが、悲しんだことがなかったら、
目の前で悲しんでいる人の気持ちが分からないかもしれない。
あなたが、辛さを経験したことがなかったら、
辛そうにしているあの人に、どう声をかけたらいいか
検討もつかないかもしれない。
人間関係は、あらゆる感情を味わうために存在していて、
あらゆる感情は、いかなる人間関係をも豊かにしていくために存在している。
今感じている自分の悲しみは、
いつか出会うであろう大切な人の悲しみを分かちあう為に。
今自分が対面しているこの問題は、
いつか同じように葛藤を繰り返する人をサポートする為に。
すべては繋がり、循環していく。
あなたのその悲しみすら、必要としている人がいるんだよ。
いいことだけで生きていくなんて、なんて無機質だろう。
悲しみも、喜びも、全部ひっくるめて 、
丁寧に毎日を過ごしていくんだね。
自分のことばっかりに意識が向いていますw
ですから、人助けに生きる、人を喜ばせる為に生きる、と、実際の言動や仕事の仕方がそのようになったらいいな、と思います。
でも実際働いてみると、世の中の人ってみんな?生活のために仕事をしているし、日々必死に目の前のことに食らいついて生きていて余裕がありません。また自分もそうなりますし、会社や組織の人達も奉仕なんて望んでません。
奉仕とかきれいごとを言っても、状況がそれを許さない?中で、人助けや人を喜ばせるために生きていく・・・、これもまた難しく、自分の課題ですw
周りや環境のせいにしている言い訳ですかね(笑?
>でも実際働いてみると、世の中の人ってみんな?生活のために仕事をしているし、日々必死に目の前のことに食らいついて生きていて余裕がありません。また自分もそうなりますし、会社や組織の人達も奉仕なんて望んでません。
>奉仕とかきれいごとを言っても、状況がそれを許さない?中で、人助けや人を喜ばせるために生きていく・・・、これもまた難しく、自分の課題ですw
>周りや環境のせいにしている言い訳ですかね(笑?
奉仕などと気負わなくても、仕事の中で、仲間たちのために何かするのも、立派な奉仕ではないでしょうか?
仲間にアドバイスする、手伝う、労りの声をかける・・・これだけでも立派な奉仕です。
また、仏教には、お金や物がなくてもできる布施があるとされます・・・「無財の七施」とか「無くて七布施」と言われます。
1、眼施・・・あたたかい目差しを布施する事
2、和顔施・・・和らいだ顔、喜びの顔色の布施
3、言辞施・・・言葉による布施、優しい言葉、穏やかな話し方の布施
4、身施・・・身体に寄る布施。模範的な行動を、身をもって実践することである。人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行すること。
5、心施・・・自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとること。
6、床座施・・・満員電車などで座席を譲る事。さらには、自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。
7、房舎施・・・宿泊や雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやることなど。
まず、身近なところから始められてはいかがでしょうか?
茶さん、とおりすがりでごめんなさい。コメント拝見して、余計な一言お許しください。
対価をいただかない奉仕は尊いのはもちろんですが、ご自身の生活を維持されるために、対価をいただくお仕事も十分に立派な奉仕だと思います。
私は何もできない弱者ですが、お金を払って、他人さまに何かをしていただくことは、すごくありがたいですし、奉仕をうけていると感じます。本当にありがたいです。私は自分一人では何もできませんもの。
だから、茶さんが真摯にお仕事をされていることは素晴らしいご奉仕ですよ。そのうえ税金も納めておられるならなおのことです。
初期仏教でも諸行無常、一切皆苦、涅槃寂静ですから。この世・人生は執行猶予付き有期刑なのではと思います。
仏様、神様からしてもこの世が楽しすぎて神や解脱を欲しないのも困るんでしょうし、過去の行為からのマーヤによる有為転変は仕方ないことでしょう。
その中で如何に個我を離れて平静に処して執着しないことを求められているんでしょう。
そうですね。
仰る通りではないかと思います。
この世を刑務所に例える人もいれば、学校に例える人もいますね。
もちろん、この学校はテストに受からず進級できなければ、ずっと留年です^^;
疑問なのは、「なぜ愛である神様がこのような世の中を作ったのか?」ということです。
相対性であるこの世では、悲しみや苦しみがないと、幸福や快楽も経験できないのは分かりますが、それにしても、あまりに苦しみが多いのでは・・・と思ったりもします。
私には、世界は、困苦と悲惨と悲哀と絶え間ない苦痛でできているように思えます。
私が精神世界や思想や宗教の世界に入ったのは、苦しみの理由を知りたかったからでした。
この世の苦しみ、この世の不条理・・・それに納得がいきませんでした。
インド哲学では、苦しむ理由は、カルマであるとされます・・・
一定の説明はしてくれます。
では、なぜ苦しみという物がそもそもあるのか・・・
神が愛に満ちた存在であるなら、なぜこのような苦しみ、悲惨をお作りになったのか・・・
人をもっと愛に満ち、罪を犯さず、人や動物を愛するように、幸福な存在として作れなかったのだろうか・・・
イスラエルやウクライナでは紛争で何百万もの難民を出し、
アフリカでは人は貧困と内戦の中で暮らし、
南米ではストリートで孤児となった子供達が暮らす。
犬も猫も毎日何万頭も殺処分され、
豚や牛、鳥は生れてすぐひどい環境で生き、毎日何億頭と殺される。
みんな苦しんで死にました。
この苦しみの理由を・・・
この理不尽な世界の理由を・・・
なぜ、悲惨が満ち溢れる、こんな世の中なのかと・・・
なぜ、生き物はこんなにも苦しまなければならないのかと・・・
その答えを探し続けてきたのかもしれません。
ACIM ワークブック
レッスン99
聖霊は、依然として一つのことが間違いなく真実だと知っている。すなわち、神は今でも愛であり、今あなたが見ていることは、神の意志ではない、ということである。
これが、幻想を真理のもとへ運んでいく想念であり、幻想という外観の背後には不変にして確実なるものが隠されていると捉える想念である。これが救う想念であり、赦す想念である。なぜなら、それは、自らの知っている唯一の源が創造しなかったものには、まったく信を置かない想念だからである。
P489 世界とは何か
世界は神に対する攻撃として作り出された。それは恐れを象徴している。そして、恐れとは、愛の不在以外の何だろうか。だから、世界とは、神を締め出せる場所、神の子が神から離れていられる場所となるためのものだった。このような狂った想念を智識が生起させることはできないので、ここで知覚というものが生じた。しかし眼は欺き、耳は偽りを聞く。今や誤謬が可能になる。確実性が消え去ったからである。
ACIM テキスト 序文
これは奇跡についてのコースである。必須科目である。いつ受講するかだけがあなたの自由である。自由意志とは、あなたがカリキュラムを編成できるという意味ではない。ある時期に何を受講したいかを選択できるというだけのことである。このコースは愛の意味を教えることを目指してはいない。それは教えることのできる範囲を超えているからである。しかし、愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去ることは、たしかに目指している。愛の現存そのものは、生来あなたが受け継いでいるものである。愛の対局は恐れであるが、すべてを包み込むものに対局はありえない。
したがって、このコースは次のように極めて簡潔に要約できる。
実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
ここに神の平安がある。
結局、夢だから、こういった上下ひっくり返ったようなおかしな世界が可能なんですよ。それも、神は無関係で、自分が見ている夢(笑。こういう説明が自分には一番しっくりくる・・。そこからどれだけ抜けさせるかは、自分にはわかりませんが・・。まさに神のみぞ知ることで、なるべく心配しないように心がけてます。
返信、遅くなりましたm(__)m
私は、一時、漫画家を目指したことがあります。
作品の中で、遠い過去に神父だった男がヴァンパイアとなった男の話があります。
ひょんなことから、教会の中に転がり込みます。
そこで、このヴァンパイアは、キリスト教のシスター(修道女)にこのような台詞を吐きます。
——
神ほど、精神が作り上げた想像の産物は無いであろう。
神がいると主張する奴らがいる。
なんでも、慈悲深く、全能で、愛という存在なのだそうだ・・・
まったく馬鹿馬鹿しい。
いったいそんな神はどこにいるのだろう。
人々は、病気に、戦争に、飢えに、寒さに、暑さに、災害に、死に、苦しみあえいでいる。
これまで何万人も何億人も、神に助けを求め、心から祈りをささげた。
いったい何人の人が神に救われた?
いったいどこに神がいる?
飢えて骨と皮になった赤ちゃんが、ミルクのでないおっぱいに吸い付き、涙にくれる母親に抱かれながら息を絶える。
どうして神は助けない?
内戦で、少女は武装した野兵に輪姦され、頭を打ちぬかれて殺される。
どうして神は黙っている?
分かっているのは、もしいるとしたら、何億人が極貧の中で生活しようと、何万人が飢え死のうと、何千人が内戦で死のうと、何も意に介さない神だ。
なぜ、神は何もしないのだろう?なぜ神は無視をしている?
答えは簡単。神などいないからだ!
もし神がいるなら、よほど不完全で、サディストで、能力の無い神だろう!
こんなしょうも無い生き物(=人間)しか作れなかったのだから。
人間は、生きるために殺し、憎み、奪い、盗み、妬み、破壊し、・・・人類の歴史はその繰り返しだ。
神はよほど、混乱と、争いと、不和が好きなのだろう。
だが、そんな神ですら存在しない。
誰かに助けてもらいたい、その弱さが、
現実を直視できないその逃避が、
死や苦しみへの恐怖が、
未来への不安な心が、
その臆病さが、
神や天国などという架空の存在を生み出したのだ!
これら神や宗教は、愛ではなく恐怖から、
喜びではなく悲惨から、
死後にすら快楽を味わいたいという人間の黒い欲望から生み出されたのだ!
—————–
以上がパンパイアのセリフです。
恐れを知らないと言うか、罰が当たりそうなひどい言葉ですが、
私は、この苦しみに満ちた世の中を見て、神さまに文句をぶつけたかったのでしょう・・・
私が最も腑に落ちた言葉は、バーラ・サイババが言った言葉でした(以下、うろ覚えで書きます)
ある人がバーラ・サイババに泣きながら質問しました。
「人は貧困・病気・災害・戦争などで苦しんでいます。
なぜ、人は苦しむのでしょうか?
なぜ、神様は助けてくれないのでしょうか?」
それに対して、バーラ・サイババは以下のように答えました。
「人は原因と結果の中に生きている。
神は、原因があるのに、結果のみを取り除くことはしない。
もしそうするならば、それは人が成長する機会を奪ってしまうからだ。」
結局、人は、自分の行為の結果からしか学べないのかもしれません。
仕方ないのかもしれませんが、やはり悲しい事実ですね。
ガジャケサリ・ヨーガ
人間の人生が嗚咽をこらえながら語られる半分の物語だとしたら、ヨギとの交わりはその中の花の香水である。
バジャンをやりなさい。バジャンはすべての病気と苦しみを癒す薬です。
(占星術は叡智の眼-2 KN RAO 2007年8月3日 7:58 PM)
バジャン、大好きですよ!^^
毎日歌っています。
ぬこねこ日記が読~みたいな~。
Coming soon!
乞うご期待!!^^
さいらむ!
ブログが更新されていないので猫ちゃん達のことが気になります。「みんな幸せでありますように」お祈りしています。
shantiさん
ご心配おかけしましたm(__)m
猫は無事です。
メゴが痩せてるのと、シャンティが口内炎ですが・・・
メゴはおそらく歳ですな。
シャンティは猫エイズなのでしょうがないですね。
痛み止めと、抗生剤、それでも食べない日は、注射器でチャオチュールを無理やり押し込みます!^^;
さいらむ!
シャンティちゃんの口内炎ですが、マヌカハニーは試されましたか?うちの子は口内炎ではないですが、口腔内のトラブルでマヌカハニーやサンクロンを与えていました。
サンクロンは薄めず原液を無理矢理お口に入れました。とても嫌がられましたが。
シリンジでちゅ〜るもいいですが、高齢猫用の高栄養ミルクもどうでしょうか?
シャンティちゃん良くなりますように。お大事になさってください。
さいらむ
情報、ありがとうございますm(__)m
マヌカハニー、そんな商品あるんですね!
人間用の商品のようですが、猫もいけるんですね!
ちょっと買って試してみますm(__)m