【言葉】:『幸福の本質』:ラマナ・マハリシの言葉
個々の人間の潜在意識は、良いカルマと悪いカルマの貯蔵庫なのだ。
神はこの貯蔵庫から、それが快楽であれ苦しみであれ、
その時の人の霊的進化に最も適したものを選択するのである。
永遠の生命への願望はどうして起こるのか。
現在の状態が耐えられないからだ。
なぜか。
それがあなたの真の本性ではないからだ。
それ(現在の状態)が、あなたの真の本性であれば、あなたを掻き乱す願望は起こらないだろう。
現在の状態はどのように、あなたの真の本性と異なっているのか。
本当は、あなたは霊魂なのだ。
人間は自分自身を限定されたものと考えており、それが困難の根源だ。
眠りの中では、世界は無かったし、
エゴ(自我)も困難も無かった。
その幸福な状態から何ものかが目覚めて『私』と言う。
そのエゴのために世界が現われる。
困難の原因はエゴの発生にある。
幸福とは何か?
幸福とは真我(アートマン)の本性そのものである。
幸福と真我は別のものではない。
世界のいかなる物事の中にも幸福はない。
我々は無智ゆえに、物事から幸福を得るものだと思っている。
心が外へ出て行くと、不幸を体験する。
心の願いが満たされたとき、実は、心は自己本来の場所に戻っており、真我である幸福を楽しむのである。
同じように、眠りの状態、サマーディ(三昧)、失神状態、
あるいは得たいと願っていたものが得られたり、嫌っていたものが消え去ったりしたときには、
心は内面に向かい、純粋な真我を楽しむのである。
このように心は休むことなく動き回り、真我から彷徨い出ては、また戻ってくるということを繰り返している。
木陰は気持ちいいが、外では太陽が焼けつくようだ。
灼熱の太陽の中を歩いてきた人が、木陰に辿り着けば涼しいと感じる。
木陰からわざわざ猛暑の中を行き、それからまた木陰に戻ってくるのは愚かなことである。
賢い人はずっと木陰に留まっているだろう。
同じように、真理を知る人の心は、ブラムハン(絶対実在=神)を離れることはない。
その反対に、無智な人の心は悲惨を味わいながら世界を彷徨い歩き、
束の間の幸福を味わうためにブラムハンに戻ってくる。
実際には、世界と呼ばれているものは、ただの想念に過ぎない。
世界が消え去ったとき、つまり想念が存在しないとき、心は幸福を体験するのである。
世界が現われると、不幸を味わうのである。
―ラマナ・マハルシ
https://blogs.yahoo.co.jp/happyhappysai2010/43746830.html
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