『自らをゆだねる勇気』

 

私は聞いた―
ある行者が物乞いをしていた。
彼は年老い、視力も衰えていた。
彼はモスクの傍らに立って、
扉に向かって施しを乞うていた。
そこに通りがかった者が言った、

「あんた、どこか他所に行った方がいいだろうに。
 これはあんたに何か与えられるような人の家ではないよ」

行者は尋ねた、

「誰にも、何も与えないような、
 家の王なんているものかね?」

通りすがりの者は答えた、

「頭がおかしいのかね、
 おまえさんはここがモスクなのを知らないのか?
 この家の主は、偉大なる父、神ご自身なんだぞ」

行者は顔を上げ、モスクを仰いだ。
彼のハートは焼けつくような渇望でいっぱいになった。
内なる声が話しかける、

「だが、どうしてわしがこの扉の前から、
 動けるというのじゃろう?
 これは究極の戸口じゃ。
 これ以.上の扉など、一体どこにあるというのじゃ?」

強固な決意が彼の内側に育っていった。
動かし得ない岩のように、彼のハートはこう宣言した、

「わしは手ぶらのまま、ここから去りはせん。
 あとで何を手にしたにせよ、
 ここから手ぶらで去ることにした連中は、
 実は何も得てはおらんのじゃから」

彼はモスクの階段のそばに座り込んだ。
彼は天に向かってその空っぽの両手を差し伸べた・彼は渇いていた―
その渇き、それ自体が祈りだ。

日々は過ぎ去り、季節がめくられていく……
夏が過ぎ、雨季が過ぎ、冬も終わりを告げていた。

ほとんど丸一年が過ぎ去っていた。
老人の最期も近かった。
が、彼の生涯の最後の日々に、
人々は、彼が踊る姿を見た。
その目は、この世ならぬ輝きを湛えていた。
彼の年老いた身体は、光を放っていた。

死を前にして、彼はある人にこう語った、

「たずねる者は、達成する。
 人は自らをゆだねる勇気をもつことだけが必要なのじゃ」

自らをゆだねる勇気―
自分自身を滅する勇気―
空となる勇気―

自ら消え去る用意のある者が、成就を達成する。
自ら死ぬ用意のある者が、生を獲得する。

 

―OSHO

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